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モディリアーニ展
モディリアーニについて

中学生の時にモディリアーニの描く瞳のない肖像と出会い、以降長い間私は彼の絵に魅了され続けてきた。その時に買ってもらった肖像画のコピーは長らく私の部屋に飾ってある。しかし、モディリアーニの絵を見る事はこの上もない喜びであるのだが、同時にひどく不安な気持ちにさせられる。

それは彼の絵の魅力を感じつつもうまく言語化できない事によっているように感じる。そのアーモンド型の目や顔、長い首といったおよそ写実的とは言いがたい独特の表現、そして単純化され、様式化されているにも関わらず、肖像画のモデル達は存分にもしくは実在の人物以上にその個性を表出させていることが一種の矛盾をはらんで迫ってくる。過去長い間モディリアーニに関する研究が大々的になされる事がなかったというのもこの言語化できなさによっているのかもしれないし、同時に人気の在処も言葉にする事を拒むような魅力によるのかもしれない。


今回大阪で行われているモディリアーニ展には、かくれた主題、もしくは副題というものがあるようで、それはモディリアーニと「原始美術」の関係がいかなるものであったかというものであるようだ。それは、展示構成からも図版の表紙に[et le primitivisme」と書かれている事からわかる。

展示は、パリに出てきてまもないころのフォービズム的な肖像画、そしてスケッチブックの習作なども展示されており、原始美術に感化される以前のモディリアーニの作風を知る事が出来る点が興味深い。

そして次に「原始美術」から直接の影響を受け取り組みだしたカリアティッド人物像の一連の作品が続く。この時点でアーモンド型の目、単純な線で表されたフォルムなどのモディアー二特有の描き方が見いだされている。もちろんこれらは当時モディリアーニが取り組んでいた彫刻作品のために描かれたものであって、立体物を想定して描かれている。が結果体の問題から彫刻をあきらめざるを得ない状況になり、この彫刻に向けられていた実験が絵画へと注がれる事になる。

解説によるとモディリアーニは、流通しているようなボヘミアンな色男であったのではなく、「形而上学的で霊的な」知識人であったらしい。イタリア時代には古典からはじまるイタリア絵画の要素を吸収し、「原始美術」についても非常に熱心に研究をおこなっている。そういうイタリア的伝統を考えると、長い首や少し傾げた顔、卵形のフォルムなどというのは原始美術からの影響というよりかは、イタリア人としての素質、伝統によっているのではないかと思わさせられる。


とにかくモディリアーニは彫刻をあきらめ絵画に向かう事になる。そしてみごとにプリニティブな要素と古典肖像がの要素を統合、もしくは同居させる事に成功しているように思える。モディリアーニの絵は決して強いメッセージや態度を私たちに示さない。それは時に仮面ともいわれる瞳のない面がうみだす佇まいによっている。しかしながら仮面は原始社会の儀式用につくられた神秘的なものではなく、親しい人物へと向けられてたものである。シンメトリーをくずされデフォルメされた表情からは個別的な雰囲気が生み出されている。あえて瞳をえがかず、様式の中に当てはめる事で、モデルのもてる性格をにじみださせているのだろう。


それにしても、モディリアーニの描く女性は誰も彼も非常に魅了的で美しい。恥ずかしさを恐れずいうならば、何度恋をしそうになってしまったことか。。。それはまさしく言葉にできない言語以前の衝動なのだから。
by shinichi-log | 2008-08-28 00:08
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