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輪中の郷
研究の資料調査のために三重県桑名市長島町を訪問。三重県と愛知県の県境、木曽河の下流の中州に位置する人口1万人ほどの町だ。町そのものではなく、長島リゾートや、伊勢湾岸道のPAに立ち寄った事のある人は多いのではないだろうか。この辺りは輪中といって中州の周囲に堤防が張り巡らされ、中の人々は海抜化で主に農業を営んで暮らしをたてている。輪中の成立は400年とも1000年前とも言われているが、洪水の旅に崩壊と再生を繰り返してきているようだ。明治期の河川改修で複数の輪中がまとめられ現在の長島が形成されたが、今でも昔の輪中の輪郭をなぞる事が出来る面白い街だ。写真のように家が一列に並んでいるのが昔の堤防の後ということになる。

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防災に力を入れつつ、農業で暮らしを営んできたこのエリアに温泉が湧き出たのが昭和38年。それをきっかけに行政主導で観光地開発がスタートする。同年には長島観光開発株式会社(現在の長島リゾートを経営)が設立されている。その後、昭和45年に都市計画決定が行なわれることになるが、その策定のための資料として環境開発センターが開発計画の報告書を手がけていた。今回はその報告書の内容と実際のその後の都市開発がどのような関係にあるかを知るための資料を探すことが目的だった。

すでに長島町はお隣の桑名市と合併しており、閑散とした長島支所にて都市計画課の職員の方と、30年長島の建設に関わってこられたもと建設部長の方から色々とお話を伺う事が出来た。ベテランの職員の方もさすがに昭和40年の報告書についてはご存じなかったが、その後長島で都市開発がどのような状況にあり今にいたっているか詳しく話しをしていただき興味深かった。特に観光開発の視点から開発計画をつくったものの、実際には昭和33年からはじまっていた木曽川下流農村水利改良事業が都市計画よりも強い影響を持っていたという話しは、都市が都市計画だけでなく、農業や防災からつくられているということを改めて意識させられて面白かった。実際町内の2車線の舗装済みの道路の多くが農道という名目でつくられているということだった。とはいえ、幹線道路や駅前整備には報告書の内容を踏襲する部分も見られたので、今後どの程度実現され、何が門d内であったかの検証を進めていきたい。

その後は、職員の方に長島町をぐるっと案内していただき、輪中への理解を深めることができ、紙袋一杯のパンフレットや報告書を手みやげに帰路についた。
by shinichi-log | 2014-05-21 19:00 | daily
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