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Umaki Campで考えたことメモ
8月もパリの展示の準備に終われ気がつくと9月になってしまったけれど、8月16日に小豆島で行なわれた建築会議のこと。といっても会議の内容そのものではなくて、会議にあたって考えたことを少し記録。

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会議は、大阪を拠点に活動するdot architectsが設計し、施行までをおこなったUMAKI CAMPという建物について60年代から80年代生まれの幅広い世代の建築家が集まって話しをするというもので、世代的な差や活動の幅もありつつも、司会の藤村さんの采配によって非常にエキサイティングなものとなり、大変勉強させていただいた。私自身は家成さんと造形大で半年間授業を担当していたので、毎週末に現場で作業している話しは春から伺っていた。なので、そのプロジェクトの始まりから、地域の人との楽しそうなやり取りを聞くにつけ、この建築がどのようにかの地に存在しているのか、実際にみ、地元の人に話しをきけるのを心待ちにしていた。ただ、まずこのdot architectsをふくむ70年代生まれの関西の建築家の状況について少し考えてみたい。







まず彼らの活動を相対化していく時にひとまず「即物性」という言葉を思い浮かべてみる。島田陽氏の「六甲の住宅」は、装飾性や記号性(ここでの家型は記号というよりもモノの性能として選択されているように思われる)が排除された、まさに即物的な要求が自然と建ち上がった建築とみることができる。そしてUmakiCampも素材が抽象化されずに材料のまま組み上がっているような印象を受ける。ちょうど田中功起さんの対話集「質問する」の中で「歴史がないということは単に即物的であるということです。そこには背景がない」と言われているように「 即物性」とは物質的側面そのものを表現として用いるということ以上に、物質やその使用方法も含んだコンテクストを排除するということなのではないだろうか。一方で、わりと強固に大学の研究室や、出身設計事務所の系譜が存在している日本の建築界では、歴史との断絶ということ以上に、連続、もしくは継承が重視されているようにおもわれる。その継承自体は、肯定的な場合も否定的な場合もあるが、どちらにせよ参照項として自らの系譜が設定されることで、建築界内での微妙な差異がメディアを通じて作品性として浮かび上がってくる。一概には言えないが、東京にはこのアカデミズムと保守的な建築メディアがつよく存在しているがゆえに、非歴史的スタンスはとりがたいのかもしれない。例えば会議で司会をされていた藤村さんの場合、彼の設計する住宅に置いて窓や扉、屋根などの位置づけは、歴史的な文脈、特に彼が出自としている東工大に属する建築家達との間で相対化されている。その記号的な扱いによって、建築の歴史が持つ奥行きと深みが建築単体に加味されそこに豊かな建築的コンテクストが生み出される。建築家の表現はそうした各自の出自のもつ歴史とコンテクストを引き継ぎつつ、またその距離を測りながら展開されているのではないだろうか。Dot architectsにしろ、島田さんにしろ関西の建築家を系譜的に位置づけるのは難しい。建築のコンテクスト自体が拡げられ様としている時に、歴史的な垂直方向のコンテクストから自由になれるというのは大事な姿勢かもしれない。

「即物的」ということで思い起こされるのがアメリカの西海岸を代表する建築家のフランク・O・ゲーリーだろう。初期の代表作とされるゲーリー自邸はまさにさまざまな素材が即物的にコラージュ的に張り合わされている。同じアメリカでもヴェンチューリらのような歴史性を参照しつつ、正統性をずらすような手法とはことなり、歴史性がすっぽりと抜け落ちているところに即物性が強化されている。当時のゲーリーは西海岸のアーティスト達と交流をふかめながら、ヒッピー文化やDIY文化にも触れ、そこからゲーリー自邸のような作品が生まれていったのあろう。今ではビルバオ以後の非常にスペクタクルでアイコニックな建築を作るイメージが強い彼だが、ゲーリー自邸以後も、あえてどう作られているのかが明示的なつくりかたがデザインとしてもちいられているし、ヴィトラ美術館でも素材というレベルではなく構成において要素の即物性が試みられている。つまり階段や屋根などが既存の文脈から遊離し、それ自体としてとりだされ、配置されている。また今でも「どうつくるか」ということは彼にとって一つの大きな主題になっていることは間違いない。西海岸気質というものは、阪急によってすすめられたコロニアルスタイルの郊外住宅地が広がり、関東大震災によって移住してきた大正ロマンの文化人も多く住んでいた京阪神という地の文脈からいえばとても近しいのではないだろうか。温暖な気候と郊外文化、自由でロマン的な文化的気質。

言ってしまえば、東京のアカデミックで保守性にたいし、関西は非歴史的で左翼性を持ち得ている。むしろ反権威的で自律性を重視するという点ではむしろアナキストなのかもしれない(倉方さんはそれを「ロマン主義」と述べていたように思うが)。東京の建築は、海外、とくにヨーロッパで評価が高いのは、非常にドメスティック(まさに系譜のゆえに)で、強い固有性を有しているからではないだろうか。一方経済危機以降、世界的に多くの建築家達が地域との関係性を構築しながら集合的に生み出されていく建築と建築家の役割について考えだしているが、 Dot Architectsの試みや垣内光司さんのDIYなどはダイレクトにこの文脈へと接続されていくように感じている。

コレクティブ(集合的)でリレーショナル(関係的)な建築におけるクリエイティビティとは何であろうか?それがここのところの私個人の問いである。そもそも建築というのは村人総出で行なわれたり、様々な種類の職人が関わる集合的で関係的な営為だった。しかしながら近代を通じ建築における、もしくは建築家のクリエイティビティとは新しい空間性を発明することだとされてきた。新しいと言ってもそれはあるルールの中での最大限の飛躍のことだったが、その発明はある一人の建築家と言う主体によって行なわれていた。

さきに即物的ということを述べたが、UmakiCampはモノがモノそれ自体の意味自体をもたないように存在しているがゆえに、建築がどう作られているかが、もう少し正確に言えばこうすれば直せるかもという感覚が個々を利用する誰にでも理解できるようになっている。それはデザインに無頓着であるというわけでは決してない。意図的に、正確さを持って、どう作られているかがわかるようなディテールが採用されている。それは永遠にそのままであることを目指していない。時間が経つと修繕や補修も必要となってくるであろうが、その時が建築と人がもっとも関係的になる瞬間ではなかろうか。そうした完璧さではなく、不完全であることをよしとし、その弱さを強さに変えていく。人とおなじく建築もバルネラビリティをもつことが関係的に豊かになるための条件であるようだ。

また、垣内さんがDIYプロジェクトで施主に作り方を教え、工事をさせるということをしていたり、建売住宅の住人にワークショップでウッドデッキや家具をつくることを提案しているのは、思うに建築家自身の自由ではなく、クライアントが暮らしの中で獲得する自由ということであり、それをいかに建設のプロセスを通じて育てることが出来るのかを考えているからだ。そもそも自由というのはだれにとっての自由かということが重要なわけで、計画者側が自由に設計して、使用者をコントロールできるというのではなんとも官僚的できな臭い。そうではなく、建築と人が状況に応じて意味をみいだし、また時には作り替えてしまえる、そんな使う人間と建築のインタラクティブな関係としての自由を建築そのもののデザインによって生み出せるか。それはUmakiCampでも試みられていたことだと思う。そもそも日本の建築というのは、木造故の弱さゆえの建築文化を築き上げてきたわけだし、そうやってその集落の全員でケアしていくという意識が、建築と人との自律的な関係を作り上げていくのではないだろうか。その関係はある定式化した計画概念によってうまれるのではなく、その都度個別的に生まれてくる。

そうして、建築がモノではなくひとつのプロセスとして存在するようになると、これまでのように計画という概念によっては建築を普遍化することが難しくなってくる。その一つの可能性がそのプロセスを通じたログでありそのアーカイブのあり方ではないかと思う。プロセスそのものはその場所場所、状況に応じていく通りも存在しているが、その中でおこなわれる個別の事象は汎用性を持ち得ているかもしれない。つまりそうしたログの蓄積=アーカイブの中から、複数の個別的事象を選び出して組み立てていくことで異なるプロジェクトを描き出せないか。もちろんその構成の仕方や、状況におうじて足りないピースを生み出すことは必要だが、それこそコレクティブかつリレーショナルなプロジェクトにおける建築家に求められているクリエイティビティなのかもしれない。
by shinichi-log | 2013-09-03 19:21 | Lecture log
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