日曜は午後からTNA設計の工場のリノベーションのオープンハウスのため倉敷へ。
もともとは周囲にたつ工場と同じような外観だったとのことだが、ステンレスとポリカにつつまれた外装からは、リノベーションというよりも新築のような印象をうける。 通常リノベーションといえば既存部分とのある種のコントラストによってデザインを成立させることが多い。もしくは手の後がそのままデザインになるようなものもある。たとえば長坂常さんのリノベーションはこの類いの方法論を意識的かつ発明的に用いている。 一方TNAのリノベーションは、既存部と改変部の見分けが一見するとつきにくい。両者のコントラストによってではなく、まったく新しい構成のなかに建築が建ち現れている。これはつまりリノベーションが新築と同じ作法で作られている、ということかもしれない。新築と同じということはどういうことかというと、敷地があってそのコンテクストや状況をひとつひとつ丁寧に拾いながら構築されていく一つの体系だということだ。個人的に素晴らしい住宅である程、その体系は一つの織物のようであると感じている。つまり構成にヒエラルキーがないというか、すべての要素が必然性を持って同時に決まっているような感覚を与えてくれる。新築とはそうした一つの織物であるが、リノベーションは端的に言えばパッチワーク的、コラージュ的で衝突や異化作用が強い質をつくり出す。しかしながらTNAの場合リノベーションでありながら、コントラストによる空間の質ではなく、新築的な織物としての質をつくり出している。 TNAはよく凝縮させるというような説明の仕方をされる。それは具体的な条件や与件にたいしてヒエラルキーをつけて整理していくのではなく、むしろそれらを思考の渦の中に一緒くたに放り込み、高速回転させることで、そうした複数の具体的な物事が未分化な状態のまま統合されてしまっているような建築をさしている(と理解している)。それを、倉方さんは連立方程式のようだと言われていたが、なるほど確かに複数の問いがすべて並列に並んでいて、同時に解けていく感じがそこにはある。 今回リノベーションされた工場もまさにそのような状況が生み出されていた。ここでもまた一つ一つ丁寧に条件や使われ方、空間の質感などが丁寧に読み込まれ、非常にクラシカルな表現の中に複雑な全体性が生み出されている。それもリノベーションでありながら構造的な構成と意匠的な構成が並列的に存在しているからに違いない。説明を聞くに構造的にかなりアクロバティックなことが行なわれているのだが、力を直接的に表現せずに全体の中に統合されている満田さんの仕事にも敬服させられる。 昨年竣工した資料館も、何度みてもどこにどのような手が加えられているのか判然としない。もともと2階の床には穴があいていたらしいが、その穴に新しくつくられた屋根をささえる柱が貫通しているので、後から開けられたもののように感じなくもないし、そう思っていると今度は屋根が最初にあってその後に壁や床が作られたんじゃないかという錯覚が生まれてくる。個人的に一番のなぞは柱の間につくられたコンクリートの壁。なぜそうなったのかそれだけでは理解できない、でも全体としては収まっている不思議な存在感だと感じた。 ちなみに倉敷は初めてだったわけだが、美観地区という身も蓋もないネーミングに近代的枠組みを感じ、いかがなものかといぶかしんでしまったが、実際は阿智神社のある小山を中心にかなり面的に保存が利いていて、運河沿いの情緒も観光地のそれとしてすばらしく、また有名なナマコ壁の美しいテクスチャーを堪能し、数時間だけであったが有意義な滞在だった。
by shinichi-log
| 2013-08-01 04:04
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