コアなのかハブなのか
普段お世話になっている原さんや山本さんが頑張っておられるコアネットワークというものの立ち上げの会に呼んでいただいたので行ってきました。ディスカッションというコーナーで、VoiceGalleryの松尾さんと狂言師の茂山さんとご一緒させていただいて、コアネットワークの未来について妄想するという内容。個人的には、Voiceの松尾さんとこうして同席させてもらう事になろうとは夢にも思っていなかったし、同い年の狂言師さんと知り合いになれるなど、貴重な機会だったなと。ただ事業自体は、ソフトなハコをつくったから後はみんなでなんとかしてね、という感じでこれからどうなるのか先の見えない感じは否めない。

とはいえ、これは大きく行政側の思惑からは外れるかもしれないけれど、きちんと京都の文化行政を監視する、もしくは提言していくような団体になるとかはいいかもしれない。これだけ各ジャンルの専門家が集まっているのだから。新しい文化をつくろうとする面々がどう実行力と影響力を生み出し、現実を変えていけるのか。さてさて、、、
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# by shinichi-log | 2013-07-01 21:14 | daily | Comments(0)
3人のクライアントと3人の建築家
週末は昨年から関わっていた展覧会「3人のクライアントと3人の建築家」のオープニング。SHIBAURAHOUSEでの設営のため早朝の新幹線で東京へ。今回は、昨年発売された書籍「How to Make aJapanese House」のスピンオフ企画のような位置づけの展示会で、途中会場が変更するなどなどの紆余曲折を経てようやくこぎつけた開催だった。私は本の著者で企画者のカテライネさんを日本でサポートするということで展示までの実際的な運営のたずさわってきた。

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タイトルにもあるように本展の特徴は「クライアント」に焦点を当てている点にある。設計の過程における建築家とクライアントの共同作業というイメージのみならず、竣工後の建築の姿のアウトプットにおいてクライアントがくわわるなど、これまでにない展示になっている。。設計、デザインというのは殆どの場合クライアントという絶対的な他者がいてはじめて成立する他律的な行為である。けして芸術家のように建築家の内面からの創造力だけで作られる訳ではない。時にクライアントの生活イメージが建築家の創造力を刺激する事もあるし、建築家の提案がクライアントの生活イメージを膨らませることもある。そうしたことを主に海外からの目を意識した展示になっている。

展示は、建築家のつくる「脚本」としての建築物の模型と、そこを舞台としたクライアントの解釈による「上演」としてのメディアワークからなっている。特に後半の部分は、生きられている建築をめざされた建築のその生きられた姿をどのように表現するのかという点で興味深い。とはいえ短い制作期間の中でブラッシュアップの余地も各建築家に共通してみられた。今後のトークなどので展示の意味をあらためて明確にしつつ、巡回も視野に入れた展開を期待している。

会期は7/13まで。
http://www.shibaurahouse.jp/event/3clients3architects
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# by shinichi-log | 2013-07-01 20:56 | daily | Comments(0)
デザインの土俵
ハウスメーカー、建材メーカーの有志があつまって隔月で行なわれている勉強会に参加する。ようはまったくの土俵が違う方々なのだが、町家の改修ワークショップの事例を昨今のDIYやものづくりの流れと関連づけてお話させていただく。こういう場所でもばしっと決めれる話しの展開をもっと考えないと行けない。この勉強会もともとは企業の枠を越えて各社の製品のデザインについて話し合う場とのことだが、ソーシャル化という流れをどう自分たちなりに解釈していけるのかということが最近のトピックになっているとのこと。とはいえ、デザインしたい人間にとってそれはつらいでしょ、というのが正直のところのようだが、なぜ作るのかが問えないとデザインしていてもどこかむなしさがつきまとうのではないか。ただそれはお互いうまくやればよくて、誰かが意味を見つけ出し、それをカタチにする人と組む。その時に最後人を感動させられるのはデザインの力だと思う。実に凡庸な結論。
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# by shinichi-log | 2013-06-28 22:55 | daily | Comments(0)
人間のかぎりない凡庸さ
濱口竜介監督の「なみのおと」をみる。昭和の津波を体験したおばあさんから、20代の姉妹まで6組によるそれぞれの震災、津波の体験の語りを軸にしたドキュメンタリー映画だ。語り手を正面から捉えるカメラワークが印象的であるものの、驚くべき事はその内容がある種とても凡庸であることだ。被災という壮絶な体験の個別性を越えて浮かび上がる、人間のその凡庸さをむしろ描き出そうとしているかのようだ。もちろん個別的なエピソードは衝撃的だったり、物語性に富んでいるのだが、そうしたものの先に語られる真理や教訓、考察は退屈だったり当たり前だったり、クリシェだったりする。それは、ドキュメンタリーとしてその人の表面だけしか写し取れていない、内面の深い葛藤を映し出す事に失敗しているという事なのかもしれないが、実のところそんなものがあるという事自体が幻想、もしくは見る側の勝手な妄想なのかもしれない。

でも、それでいいんだよ、というのはそれはそれで救いなのかもしれない。すべらない話しをたえず求められる社会のつらさというのもある。

http://www.hamaguchix3.com/
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# by shinichi-log | 2013-06-27 23:51 | daily | Comments(0)
さかきとしっしーの結婚パーティ
先日は、榊くんとしっしーの結婚パーティーでした。2次会はradlab.で。
朝からまるで親戚の結婚式のような心持ち。なんだかそわそわわした一日でした。
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(この写真のみ撮影は河本さんです。)
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5年前に榊くんを誘ってRADを始め、彼がこうして京都ですばらしいパートナーと結ばれ、本当に嬉しく思っています。1次会には100名以上の方々が参加してくださっていましたが、いかに多くの人に支えられながらのこれまでだったかを改めて感じ、当人でもないですが感謝でいっぱいでした。

さかきくん、しっしー本当におめでとう!!
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# by shinichi-log | 2013-06-25 20:37 | daily | Comments(0)
マテリアルコラージュ/建築模型 - 「minako irie Drawing 展」
RADのプロジェクトにも参加してくれている入江さんの初個展(http://oinai-karasuma.jp/blog/2013/04/01/309/)へ。彼女は建築を学んでこの春に大学院を卒業している。とはいえこれは建築展ではなく、彼女がライフワークにしていたドローイングの展覧会だ。



ドローイングとはいえ、日々の生活の中でみつけてきた素材をもちいたコラージュなのだが、おもしろかったのはこのコラージュの素材のしかたがとても建築模型的だったこと。模型を作るとき、そこにはスケールが存在するので実際の素材をそのまま用いると素材の「肌理」だけが1/1になってしまい違和感を生じさせることがある。そのため模型ではある程度抽象化と見立てが行なわれることになるのだが、それがコラージュにも持ち込まれているためにモチーフの如何に関わらず、どことなく建築模型特有の質感が現れていた。それは通常であればモチーフのレベルで行なわれるであろう見立てが、マテリアルのレベルで取り組まれていたことによる。

また展示会場にはドローイングだけでなく、彼女が日常的に使用していたり気になっているものがディスプレーされていて、空間的な体験が意識されていたことも、小規模な展示ながら満足度の高い展示になっていたのではないだろうか。
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# by shinichi-log | 2013-04-14 12:08 | daily | Comments(0)
コノハナアドベンチャー2:子供鉅人
大阪の此花(梅花エリア)の街全体を舞台にした劇団「子供鉅人」のコノハナアドベンチャーをみる。街中の複数の施設が物語の舞台となり、観客は演劇の中で透明な「妖精さん」となって、役者と共に町を巡り、演劇を体験する。劇場型というよりツアー型の演劇だ。
これも一種の町あるきではあるが、いつものそれにはない、アートだからこその質感が確かに存在していた。HAPSで行なったHyslomのペンキ塗りなどのワークショップもそうだったが、今回もアートのもっている非常にポジティブな一面を垣間みた気がした。それは何かといわれると難しいが、世界を新しく想像するエネルギーとでもいおうか、再発見や解決という事を越えて、「生み出されている」感覚がある。それでいて非日常を演出するのではなくて、ともするとよそ者からしたら素のままで非日常な此花という町の「日常」が演劇という虚構を通して浮かび上がってくる。そしてその日常は自分の持つそれへと連続していくものだった。
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# by shinichi-log | 2013-04-01 17:39 | daily | Comments(0)
サステナビリティの形を考える。
先の投稿の続き・・・

今回のワークショップでつくった「たたき」では、実施建物の通り庭を事前に掘削した際に出た土を使用しており、一部のガラを除いてほぼ再利用が出来ている。通常であればこれらは残土として捨てにいく事になるのだが、ガラを取り除くなどのちょっとした手間だけでそれは産廃から素材に変化してします。

何もこれは土間に限った事ではなく、土壁も同様に壊した後の土がそのまま土壁の材料として再利用ができすり、いうなれば木材も加工しやすいために別の住宅への転用も可能となっている。さらにはモデュール化した建具と畳も別の建物での使用が比較的しやすいシステムになっている。そう考えると木造住宅の素材の多くはそのまま別の建物へと転用可能であり、たとえスクラップアンドビルドであったとしても素材のレベルで見ると非常にすぐれたサステナブルナ仕組みが構築できる。

単に性能を上げて持つか分からない100年を謳う住宅を建てるよりも、素材レベルで循環を可能にするような建築の仕組みつくりが必要なのではないか。
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# by shinichi-log | 2013-03-23 22:57 | daily | Comments(0)
大工と左官
左官と大工。これまでなんとなく大きく大工というのがあって、その中に左官という仕事があるというふうに考えていた。けれど今日左官職人さんと一緒にたたきを作っていく中で、料理でもコックとパティシエが違うように、理科に物理と化学があるように、これは全く別ものだった。

大工というのは基本木材を寸法に合わせて加工し、論理的に組み合わせていく。非常に構築的な思考の上で成り立っているといってよい。一方左官は、土を身体で感じ取りながらいい加減をさぐり壁や床を作っていく。そこで必要とされる知識や技術も大工がいかに力を受けるか、接合するか、組み立てるかといったものである一方、左官は素材同士の化学的な変化を感じ取り、ものの性質を自在に操っていく。また、一方が刻んでいくのにたいし、もう一方が様々な砂や材料を混ぜあわせることが主となるなど、興味深い対称性を有している。

そして一般的に建物を作る時は大工の棟梁がトップだが、蔵の場合は左官の棟梁がトップにたつ。京都にはこの2つに加えて庭師がいて、これは茶室の場合にトップに立つ。茶室は建築である以上に庭と一体となった、むしろ庭の一部であるということなのだろう。そして蔵は、内部の品物を守るために、呼吸をし、湿気を調整するなど常に物質的な変化を行っている。

というような左官だが、近年では実際の土を使って作業している職人は1%にもみたない。また、京都に限っての話しではあるが土を取る事の出来る場所が法律で規制されるようになりかなり厳しい状況が続いているという。

今回のワークショップでは、よい棟梁に恵まれみな非常に楽しく作業を実施する事が出来た。
現場を掘り返した土と石灰、そしてなめる事も出来るにがりの水を混ぜ合わせるだけというシンプルさながら、にがりは速乾的に、そして石灰は化学変化をおこしつつ長い時間かけて硬化していくというふうに実に良くできている。このたたきの最古の遺構は400年前のものらしくまだ使われているというから驚きだ。100年保つと謳う新商品と事実400年保ってきたものとではどう考えても信用力が違うと思うのだが、それでも科学的なデータが実証する(実際試してるわけではないけど)ほうを選んでしまうのだろうか?
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# by shinichi-log | 2013-03-23 22:56 | daily | Comments(0)
2013.02.04「dezain.netのB面」
昨年の暮れから岡田栄造さんが運営されているdezine.netの編集に関わるようになり、日々世界中のデザイン情報をチェックするようになりました。これは取り上げてこれは取り上げないという基準はなかなか難しい(その日の情報のレベルや、時事的な話題かどうかなど)なと感じています。

そんな中、dezain.netで取り上げる程ではないけれど、内容的には面白いなという記事が色々あってそれはそれで紹介できたらいいなと思っていたので、こっそり(にはなってないけど)自分のblogでいわゆるB面記事として紹介していこうかなと思います。もちろん選りすぐりを紹介しているdezain.netもお見逃し無く

1: selected work by lo siento(designboom)
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バルセロナのブランドデザインなどを手がけるlo siento によるインスタレーションなどの紹介記事

2: interactive work spaces by AS design service
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香港のデザイン事務所が手がけた事務所。それなりにインパクトはあるがまあだからと行った感じもいなめない。

3: a-antigua-fabrica-alchemika
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もとの建物がよいのだろうがファサードのデザインはかなり秀逸。高低差のある敷地をうまく活かしたデザイン。一方インテリアはきれいに収まっているものの少々たいくつ?

4: gurunsi earth houses of burkina faso
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グルンジの小さな集落。有機的な村の構成もさることながら各十個にほどこされた模様が素晴らしい。

5、A New Humanism: Part 8 By Robert Lamb Hart METOROPOLISマガジンのwebblogのエントリーが気になった。

6, Flamboya by Viviane Sassen
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セレクトのよさに定評のあるthis is paperから。色の鮮やかさだけでなく、微妙に違和感のある画面がとてもかっこいい。

など本サイトには上げにくいけど、気になった記事6点でした。
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# by shinichi-log | 2013-02-04 10:49 | dezain.net | Comments(0)
忘年会を忘れないためのメモ
今年もいろいろと忘年会に参加したので、忘年会を忘れないためのメモ。

RADではしっかりと忘れるための忘年プレゼンテーション。建築家から編集者、不動産、行政、お茶、などそれなりに幅広い活動範囲の方々に参加していただき、相互に情報交換や交流を深める。

先日は渋谷のレンタルルームで若手建築家集まっての忘年批評会というまじめな事もやってみつつの忘年会。全員はさすがに無理なので、9人にこの一年間の活動を紹介してもらいつつ、突っ込むというかたち。

9人で3セッションということで初めは、今年URの改修コンペで勝った藤田さん、cobaというシェアオフィスを複数の業態の人たちと運営している山道さん、浜松で設計事務所をしている403の橋本君。共通するのは人の関与の仕方や、空間の運営のされかたと空間の形の連動をどのように実現していくのかということが重視されているようにみえた。来年は藤田君のURの改修がどのような結果になるのか非常に楽しみである。

第2セッションは、伊東建築塾の運営を行なっている菊川さん、都市提案を行なって行くあおけんさん、h&deMで今年サーペンタインの担当として活躍した小室さん。なんともバラバラな組み合わせで共通の話題を見いだすのは難しいものが会ったが、建築が生み出される仕組みについて、サーペンタインはほぼ協賛で作られていることや、菊川さんのかかわるNPOの運営方法などの話しはとても興味深かった。

自己紹介をはさみつつ最後は松島さん、増田さん、榊原(RAD)という組み合わせ。松島さんと増田さんは今回の話し手の中でも、オーソドックスに建築に向き合っているという印象なのだが、松島さんが形のフェティッシュによって生み出される愛着についての話しだったのにたいし、増田君が慣習的な話しをしていて、とはいえ異なる2つのアプローチが空間と使う人の関係性について問題だったように思う。

今回は参加者が、不動産やリノベーション、土木や教育関係だったりと建築を基盤にしつつも異なるプロフェッションの人が集まっていたため、途中から「言葉」の使い方についての話しがしばしクローズアップされた感があった。

さて、2次会は近くの居酒屋で、メンバーの多少の入れ替えがありつつ。中川さんや岡部君なども合流し、一次会での思いを各自思い起こしつつ話しを進めていった。3次会はなぜか藤村事務所になだれ込み、朝5時まで緊張感ある楽しい飲み会。いきなり関西ディスから入られたのでどうしたものかというところだったが、そういう見方が関東からはされるのかと面白かった。ついつい都市の話しになってしまい建築の話題にならないというのが全体を通じてのトーンだったように思うが。ミース、ベンチューリ→そしてなぜか最後はゲーリー2.0ということになっていたが、そもそもゲーリーテクノロジー以降のゲーリーは既に2.0なんではないか。ちょうど南洋堂でゲーリーの古本も仕入れたところだったので年始は少しゲーリーについて考えてみたい。

で、京都に戻り大学のOB会。初ポムあじとでの絶品鴨鍋。で今年のしめくくり。
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# by shinichi-log | 2012-12-31 12:34 | daily | Comments(0)
復讐するな
「復讐するな」という一説が聖書の中にある。悪をおこなわれても悪で返すなということだ。こういうことは倫理的にわかるが中々納得いくものではない。そこで続く一説では、復讐やその報いを行なうのは神なのだから、自分で復讐するまでもない。悪に対してはきちんと神自らがその者に復讐してくれる。むしろ復讐という悪を自分がおこなって神からの報いを受ける事は避けるべきで、むしろ良き事を行なう事で良き報いをえるほうがいいだろうという話し。こう素直に考える事ができるようになると、人生ずいぶん楽になるに違いない。

関連ではないけれど、同じく聖書ネタでいくと、松島さんに「悪についてのノート」という記事がすごく面白かった。http://aar.art-it.asia/u/matsushimaJP/GrbmWLFostuYCh12qcwX?art-it-aar=44be1dda68c4af3781ff3f09e94b752f
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# by shinichi-log | 2012-12-30 13:51 | daily | Comments(0)
現代の抽象性と建築/美術における作品性についてのメモ
12/14の「アブストラと12人の芸術家」という展覧会の関連企画のトークイベントに呼んでもらった時に考えた事や感想についてめちゃくちゃ乱文ですが忘れないうちに書いておきました。ちなみにこの展覧会の会場構成を担当した建築家の高濱さんとアーティストの金氏さんにインタビューした記事はこちらに公開しています。
http://www.dezain.net/2012/22849

1、抽象とは何か?
まずは辞書的な意味を拾っていくと「抽象(abstract)=特徴的な要素に変換」するという事になっている。
一方でアブストラと似た言葉としての「概念(concept)=ものの意味を変えずに言語に置換」ということらしい。
また抽象という事の対概念としては、具象(representation)や具体(concreat)が考えられる。

抽象という言葉は、1908年にヴォーリンガーが「抽象と感情移入」を著し芸術的よくの一つとして抽象衝動を提示し、つづいて1912年にカンディンスキーが「芸術に置ける精神的なもの」で内的必然性へと向かう力としての抽象について述べている。こうして近代において抽象が際立ったトッピックになった背景には、一つは主に西洋において古典からつづく自然をいかに表象=representateするかという問題からの開放という側面を、抽象ということが担ったということもできる。さらに、批評家のグリーンバーグは、抽象は、物語的かつ再現的な「内容」と対置されるとし、絵画の二次元的な平面性においてのみ成立するような視覚的イリュージョンの抽象性を強調していた。こうして抽象表現主義に始まる

建築において抽象的という事は、往々にして建築が現実感のない素材感を消した図形のようであることを意味する。たとえば美術館のホワイトキューブのように真っ白な空間。さらにいえば、白い箱というだけでなく、リートフェルトの住宅や、コルビジェの住宅などのように、実際は石や木やコンクリートやレンガでできているにもかかわらず、建築の各部位が幾何学的なエレメントに変換されているものを指す。たとえばミースにとって明快な構造とは、ものの成り立ちが明示的であるということであり、それは建築の抽象性において非常に重要とされていた。
また、光がその表現の中に印象的に取り込まれている場合もそこに抽象性が見いだされる事がある。この場合は光の効果によって素材が非物質的な状態、現象的なものへと変化している様が抽象性を演出している。

2、ミニマリズムにおける抽象性
建築における抽象性について考える前に、建築とアートの違いと問いに最も示唆的な一連のミニマルアートついて考えてみる。ミニマルアートは「先行する抽象表現主義を批判的に継承しつつ、抽象美術の純粋性を徹底的に突き詰めた」といわれており、純粋な幾何学形態を用い、具象的な意味を徹底して排した作品が特徴的である。抽象表現が個人の内面の表出を非具象的に描くのにたいし、ミニマルアートにおいてはその内面の表出すら排除の対象とされている。こうして作られる超-抽象という作品は、しかしながら作者の内面にではなく、それを観るものとの間に意味を作り出していく。つまり作品の自律性が消滅し、作品と観者をふくみこんだ状況全体がつくりだされることになる。このことをマイケル・フリードは客体性とよんだが、この客体性こそ、建築の作品性との接続を考える上で重要になってくる。もっともミニマルアートがこの後インスタレーションへと展開し、現在におけるアートの主流な形式となっており、建築家も美術館などで積極的にインスタレーションを採用しているということへの考察も必要になってくるようにおもわれる。もう一方で、ミニマルアートと同時代的に展開したランドアートにおける作品のありかたも、それがサイトスペシフィックである点において建築への接続も考えられる。だがこちらは単にサイトスペシフィックかどうかではなく、そのサイトスペシフィックがどのように美術館の中で作品として存在しえたかを考える方がより有意義な議論が可能になってくるように思われる、が別の機会に。さらにいうと、建築とミニマルアートの接点は、ロシア構成主義の作品の中にすでに組み込まれていたと考える事もできるが、これもここでは省略する。
ともかく、ミニマルアートにおいては抽象性をつきつめることで、結果観者をも含み込んだ関係性の中で作品というものが成立するようになる。そしてこの観者を含み込んだ経験ということはそのまま建築における重要な議論を内包しているのではないだろうか?


3、建築における現代の抽象性
現代において、様々な発見や進歩によって、自然の振る舞いすらも解析可能になり、その成り立ちが明示的に示されるようになってきた。近代においてはそうした雑多で複雑なものを幾何学という要素に還元する事でその成り立ちを示す事が試みられていたのだとすれば、現代においてはそうした幾何学に還元するのとは異なったもう少し自然を自然のままに描くような抽象性が求められているのかもしれない。それは物理的特性ではなく、現象的特性についての再現とみることもできるかもしれないが、どちらにしろ抽象ということの意味が単に要素が少ないということではなく、雑多なものを雑多なまま変換するということによって生まれてくるのかもしれない。
また一方で、近代の機能主義を乗り越えて行かなければならない私たちは、建築の自律性ではなく、ミニマルアートにおいて示されていたような客体性をどのように建築が体現するかを考えてもみたい。そうした試みはすでに00年代において盛んに行なわれていた。その先方は青木淳であり、SANAAであり、さかのぼれば篠原一男の代々木上原の住宅などの作品へと繋がっていく。現代における抽象性とは逆説的ではあるが、そうした時々に生じる状況全体のことを意味すると考えられないか。そしてなにか自律性を建築はもとめるのではなく、そうした客体的な特性にこそ建築の作品性を見いだすべきだと思う。
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# by shinichi-log | 2012-12-24 17:16 | Comments(0)
古びない理念
京都信用金庫が60年代から掲げている理念の一つにコミュニティバンクという考えがある。これは信金が単なるお金のやり取りをするだけでなく、各店舗が地域に開かれ、地域を支える金融を目指した画期的な取り組みだった。そしてこの取り組みに関わっていたのが川添登が参加する民間シンクタンクCDIであり、その構想の実現のために各店舗の設計にあたったのが菊竹清訓だった。

今日、夏にRADにインターンにきていた本間さんが論文のため調査するという事でそのヒアリングに同行した。京信の専務理事でコミュニティバンクを提唱した前会長の息子さんでもある方に話しを伺い、すでに40年程経過するコミュニティバンクの考え方の新規さをあらためて感じさせられた。移動式支店や、ドライブスルーの窓口(しかも左ハンドル用)、各店舗に市民活動のための場を設けるなど、今こそ必要と思われる事がすでに行なわれている。また、そうした当時の店舗のあり方と、現代の新しい店舗の比較から、高度経済成長の時代が求めたコミュニティの作られ方と、現在の高齢化と人口減少の時代のそれが非常に大きく変化していることも実感させられた。けれども理念は変わる事無く受け継がれている。

現在菊竹さんによる店舗は老朽化と、設備の現代化にともない更新の時期を迎えているとの事だが、その建替えの大きな原因に都市計画上の影響、つまり道路の拡幅や駅前の区画整理などによって取り壊しが余儀なくされるということが例といて非常に多いというお話が非常に興味深かった。また、驚くべき事に建設当時は5年で更新される事が目指されていた店舗の耐用年数はそろそろ限界のようだ。とはいえ、ここで考えるべきは、何が更新されてされなかったか、そして建築の冗長性の担保がどのように働いていたのかを見ていく事ではないだろうか。


そのヒアリングに参加後、恩師の古山先生のところに進路相談。結局90分も話しをさせていただき、いろいろとクリアに。最近の活動の紹介などもお伝えする事ができ、ご意見も頂戴することができた。
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# by shinichi-log | 2012-12-04 01:04 | daily | Comments(0)
生成する情報とともにあること
来年1月に浜松でResearch Storeを実施する。今年の5月に福岡で実施したものの展開バージョンである。
詳細は後日公開するが、大まかに言うと一ヶ月間浜松に滞在し、Research Storeという場をスタジオとして運営しながら、全体像を捉える事が不可能になった現代の都市の見取り図を描き出そうというのが企画の趣旨になる。そこで実際のスペースを一ヶ月運営する事になるのだが、これは単にプロジェクトの盛り上げというのではなく、RADにリサーチがパフォーマティブなものであることを目指しているということに関係している。つまりリサーチそのものを通じて何かしらの新しい関係性を生み出したり、ポジティブな変化を生み出したいと願っているからだ。また、それ以上に重要なのは、地元の人との交流、交換の中でしかえられない情報にどう関わっていけるかだ。そうした生の、そして発展していく途上の情報にアクセスする、そのためのプログラムを今考えはじめている。
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# by shinichi-log | 2012-12-03 01:14 | daily | Comments(0)



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