愛知トリエンナーレ
気がつくと会期が終わりそうだった愛知トリエンナーレ。日帰りで観てきました。
L Packのやってるビジターセンターに行くのが一番の目的ではあったわけですが。たまり場感がやばかった。料理もやすいしうまい。
https://www.facebook.com/pages/NAKAYOSI-VISITOR-CENTER-AND-STAND-CAFE-%E3%83%93%E3%82%B8%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%89%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7/1399486116930487

展示に関していうと、個人的には下道さんのと、青野文昭さんの作品がよかった。
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# by shinichi-log | 2013-10-21 10:36 | daily | Comments(0)
大見復旧作業
9月の台風で被害を受けた大見へ。道路などは思った程ではなかったけれど、川は形が変わってしまう程の被害を受けていました。小屋とトイレがどうもなかったのが奇跡的。
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作業は、川の増水でながされた畑の土を、別の箇所からひたすらスコップで掬って一輪車で運ぶの繰り返し。それでもたくさんで身体を動かすのは思いのほか楽しい。ただ翌日筋肉痛で死にました。

また行きます。
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# by shinichi-log | 2013-10-14 22:24 | Comments(0)
瀬戸内(芸術祭)島巡り
瀬戸内芸術祭に行ってきました(10/11-12)。
初日は今年から加わった西の5島のうち高見島と粟島、そして琴平へ。2日目は豊島と犬島(維新派公演)でした。

高見島は映画のロケ地にもなった急勾配の斜面につくられた集落が美しい村。
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ここ10年くらいで壊される家が増えているらしい。たしかに空家ばかりが目立った。斜面に建つ家からは瀬戸内の美しい風景が見渡せはず。

粟島では、大正9年に作られた海洋学校校舎を見学。廊下と2階の講堂がすばらしい。保存状態もよく今も卒業生のおじいちゃん達がボランティアで関わっておられた。高見島とはまた異なるおだやかな風景
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豊島美術館は文句無しにすばらしかった。特に中に入った瞬間の空間の広がりにとても感動。
犬島ではhyslomがゲスト参加している維新派公演をみて、恒例の屋台でほっこり。
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# by shinichi-log | 2013-10-13 10:24 | Comments(0)
アジア建築新人戦
取材をかねてアジア建築新人戦を観戦(でいいのかな?)。2回目となる今回は10の国から23人が参加。言語も衣装も異なるアジアの学生達が交流を深めつつ、お互いの提案内容を競うというもの。審査員も日本、中国、韓国、ベトナム、インドなどで教鞭をとる先生方がつとめている。

国によってなんとなくの特徴はあるものの、全体としてはコンテクスチャリズム/フォルマリズムで2分することが出来、その軸の中で多様性とサステナビリティをどう実現していくのかということが目指されていたように思われる。その中で中国はうまく両軸を横断しながら提案を行なっていたし、それが結果的に説得力に繋がっていった。一方日本はというと慢性的な問題意識の欠如が感じられ、日本独自のコンテクストを共有していないアジアの審査員にむけての説得力が足りなかったように感じられた。

土俵が変わればもちろん戦い方も変わってくる。
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# by shinichi-log | 2013-10-07 10:00 | daily | Comments(0)
高嶺さんの市役所前パフォーマンス
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10/5はニュイブランシェKyotoの一貫で、市役所庁舎にむかって高嶺さんのプロジェクション(マッピングなどというしゃれたものではなく)、で踊ってきた。パブリックな企画でありながら、市役所前の広場をダンス会場に替えてしまう大胆不敵なパフォーマンス。実際1/3くらいの人が踊っていた。

まさにデイビッドグレーバーなどがいう予知的政治の実践例、そして組織化されていないフラッシュモブというべき出来事だったのではないだろうか。
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# by shinichi-log | 2013-10-06 10:10 | Comments(0)
マルセロ・エヴェリン「突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる」
KEX2演目。芸術センターで行なわれたマルセロ・エヴェリン「突然どこもかしこも黒山の人だかりとなる」をみてきました。あやうく当日券が販売されないかもという人気ぶり。

さて、パフォーマンスの行なわれるセンターの講堂に入ると、腰の高さくらいにせっちされた正方形の枠が設置されている。そして「入ってもいいし」、「入らなくてもいい」ということが告げられる。観客は、ここにパフォーマンスを「観る」ために来ている訳で、より良く観ようとその中へと入っていく。舞台を見に来ている以上、観たくないと思っている人は基本的に存在しない。しかし一方で、いやむしろ「観る」ために、われわれ観客は自分が出来事の中へと巻き込まれることを恐怖する。安全な鑑賞者の位置から、出来事の中心へと、観られる対象へと変化してしまうことを恐れる。

その恐れは、実はこのパフォーマンスの初めからおこってしまっている。その枠の中を黒塗りのダンサーが絡まりながら移動し続けているのだが、開始直後から枠の中にいる人々の中におかまい無しに突っ込んでいく。そうして否応無しに観客は逃げようとするのだが、しかし一方でその恐怖の対象であるダンサー達こそが「観る」目的であるので、また近づいていく。近づかないと見えないし、近づくとよけないといけない。基本的にパフォーマンスの内容はその繰り返しである。そこには「観たい」という欲望と、「避けよう」とする恐れが生み出す場。

5人のダンサーは、あるプログラムを与えられた運動体のようなものではなかっただろうか?おそらく、お互いに離れずにひたすら内へ内へと向かうという行為だけをひたすら行なう。意思や表現などとはほど遠い、純粋な行為=運動=エネルギー。

それはダンサーの身体が漆黒の闇のように真っ黒だったこととも関係している。いうなれば彼らの存在はみえないものとしてある。パフォーマンスで重視される「身体」はなく、その行為が生み出すエネルギーだけが示される。事実その移動する中心から距離をとって眺めてみると、なにか中心にぽっかりと穴があいてしまったような、その空っぽの中心のまわりをひとがぐるぐる取り囲んでいるようにみえる。「黒山の人だかり」の中をまるで台風の目のように、空洞が移動している。もっともエネルギーが高いがゆえに、何も存在しない中心。そして蛍光灯が光を鈍く反射させスパークが発生する。

その時に少し引いて、もしくは枠の外にでることで実際に目にすることができるのは、その変容する磁場に反応して変化する観客のうごめき。そのうごめきは、個体差を持ちつつも、2つのパラメータのもと、つまり「欲望」と「恐れ」によって決定されている。

途中、ふいに5人のダンサーが分裂し、静かに場を徘徊しはじめる。エネルギーの中心が解体し、小さな極が複数出来ると、観客の動きは極端に少なくなる。みな周りを伺いながら大きく動くことをせず、状況を伺いながらそろりそろりと動いていく。非常にエネルギーの不活性な状況。

ようは、観客とダンサーという区別も、その反転も、観る観られるという演劇の根源的な関係性さえも破壊されて、パフォーマンスさせられているのは単純な心理的原理を抱き、右往左往する観客そのものであり、その結果ただ「場」そのものがいかに経ち現れるのかということ実験が、まさにこの枠の中がひとつの試験管として実施されている。

ふと、現代人の多くが普段おこなっている「遠巻きに観ている」というこの行為が、実は具体的な場の形をつくり出しているそのものであるということを感じずにはいられない。
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# by shinichi-log | 2013-10-02 01:05 | review | Comments(0)
チェルフィッチュ「地面と床」
KYOTO EXPERIMENTが今年も始まった。2年前、第一回のKEXにて快快やネジピジンさんなどに出会い、以来とても楽しみにしている京都のイベント。初日さっそくチェルフィッチュの「地面と床」を見に行く。先々月に大阪で「女優の魂」、昨年は福岡で「現在地」とみてきたが、今回の作品は近年岡田さんが試みてきた様々なことがある形となって、それもとんでもないものとして、結実しているように思えた。

現代的な能とでも言うべき音楽と演劇の融合は、「未だ生まれ来ぬもの」を思う母と「すでにその生を過ぎてしまったもの」としての母、「権利」と「義務」、賢者と愚者のコントラストを突きつけながらも、舞台上の「表現」によって解体され、しまいに判別が難しくなってしまう。

その表現、つまり内容ではなく形式についてである。形式と内容は連動して展開していくものだ。メッセージを伝えるにはふさわしい伝達方法が必要になる。内容は、時にクリシェと化してしまうが、その作用を異化させ、どこか別の次元へと導くのが「表現」であり、芸術のなせることの一つではなかろうか。本作はその表現の秀逸さにおいても特筆すべきクオリティを描き出している。

舞台には一枚の大きな床。各場でプロットは設定されているが、そこでの演者は、会話を交わしつつも、向き合うこと無く、それぞれの与えられた軌道上で別々の振る舞いを行なっている。その振る舞いはほとんど話しの内容と関係なかったり、なぜその動きなのか理解は出来ない。徹底的に意味を発生させることが拒絶されているように思えるし、同時に舞台全体にも安定した空間は現れず、分裂した個別的な空間が拮抗しながら、しかし美しく存在している。おそらく舞台設定という意味ではなく、意味は解体されただ「表現」のみが追求されているのではないだろうか?とはいえそれは、ナンセンスであるわけではなく、緻密にその演者同士のインターフェースがデザインされているがゆえに出現しているはずである。全体としてのプロットは共有しつつも、ベタな関係性を生み出さず、それぞれが無関係に振る舞いながらも、ある全体をなす。というのは、先に述べたこの作品が内容としてもっているメッセージそのものとも解釈できるのではないだろうか。

ともかく、これは傑作だと思った。
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# by shinichi-log | 2013-09-30 11:54 | review | Comments(0)
fablabと関連イベント情報
昨日Fablab北加賀屋の見学に行ってきた。
思っていたより小さなスペースで、しかしながらそれでも成立するということに驚きを感じた。
単に3Dプリンターの普及などの技術的な要因によってもりあがっているという以上に、人々のものにたいする考え方、消費よりもつくり出すことに豊かさを見いだす文化の台頭ということがまずあり、そこにそうした技術革新とその普及ということが相乗的におこっているということなんだろう。今後Fablabが地域のリソースと上手く結びついていくことが、展開は発展性において重要になってくるというのが感想。

それで、関連するトピックを扱っている面白そうな展覧会とイベントを少し紹介。

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ひとつめはウィーンの装飾美術館で行なわれている「NOMADIC FURNITURE 3.0」という展覧会。ビクター・パパネックの著書「NOMADIC FURNITURE」から名付けられたこの展覧会は、「特に住居空間や家具のデザインに関して偏在しているDIYムーブメントの現在の展開を集め、検討する」ことを目的とした展覧会。

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もう一つは「Hand-Eye Supply's Pop-up Institute for Craft and Ingenuity」というロサンゼルスの「Space 15 twenty」においてポップアップショップと教育的なイベントを行なうという一ヶ月の企画。メーカーコミュニティのみならずそれとパブリックをどう繋げるのかを考えている。全体的な雰囲気がとてもよさそう。


それぞれaboutを簡単に勝手に翻訳したので載せておきます。

NOMADIC FURNITURE 3.0
http://www.mak.at/en/program/event?article_id=1350932543268

One would be hard-pressed to find a single area of our everyday lives and material culture that has not been swept up in the “participatory revolution” of the past several years. With the do-it-yourself movement now an omnipresent phenomenon, the design field’s current development is increasingly characterized by the fusion of production and consumption. The problematic issues raised by this “prosumer culture” range from a perceived need to decentralize and democratize goods production to both the criticism of mass consumption and the theme of sustainability in light of ongoing resource depletion.

ここ数年の「参加型革命」の中で取りこぼされている物質文化と日々の生活の共通の領域を見いだすことにやっきになっている。現在、あちらこちらに現れているDIYムーブメントにともなって、デザイン領域における発展は今日、ますます生産と消費の融合ということによって特徴づけられている。この「prosumer culture」によって浮かび上がるイシューは、製品生産の民主化と分散化が必要だという認識から、マス消費批判と進行する資源枯渇への認識による持続可能性というテーマにまでおよんでいる。

But the do-it-yourself phenomenon also refers both to the rediscovery of handwork and to involvement in the design process in ways that address the senses: the motto “have more, own less” would seem to imply a paradigm shift here, particularly in view of a lifestyle that is liberated from dictates of consumption, dogmas of taste, and norms of design. The exhibition NOMADIC FURNITURE 3.0 will for the first time bundle and examine the omnipresent do-it-yourself movement’s contemporary development with specific regard to the design of furniture and residential spaces. Here, the prolonged constant increase in demand for plans showing how to build furniture and furnishing elements represents an opportunity to investigate present-day processes by way of a historical retrospective: Where do the origins of such processes lie? Through which channels and media are experience and instructions for use passed on? Who engages in exchange with whom, and on what terms?

しかしDIY現象は、ハンドワークの再発見と、感覚を伝えるデザインプロセスに関わることに言及している。つまり「多く持ち、少なく所有する」というモットーはここでのパラダイムシフトを示唆しているように思う。特にデザインの規範、趣味の戒律、消費への押しつけから自由になるようなライフスタイルという観点において。「NOMADIC FURNITURE 3.0」は、特に住居空間や家具のデザインに関して偏在しているDIYムーブメントの現在の展開を集め、検討する始めての機会となる。ここでは、どのように家具や備え付けの要素を作るかを明らかにして欲しいという要求の継続的な増加は、歴史的回顧という手段によって現在のプロセスを調査する機会を提示する。そのようなプロセスの起源はどこにあるのか。どのようなチャンネルとメディを通じて、使用経験と取り扱い説明を与えられるのか。誰が、誰と何の交換に関わっているのか、など。

When evaluating contemporary DIY strategies, their historical development can be a particularly helpful context within which to do so. For in today’s era of digital modernity, this design phenomenon continues to encompass a field situated between the two poles of mainstream and alternative culture. Even if the cheaply printed handbooks of yore have been largely replaced by Web 2.0’s forums and blogs as the creative interface, it is virtually impossible to distinguish between self-affirmative fads and subversive criticism of consumption: these are two mutually contingent aspects of design and consumer culture.

現代のDIYの戦略を見積もる時に、それらの歴史的な発展は特に役に立つ文脈となる。今日のデジタル化において、デザイン現象は、メインストリームとオルタナティブカルチャーの二極の間に位置するフィールドに存在している。クリエイティブなインターフェースとして、過去のチープな印刷によるハンドブックがweb2,0のフォーラムやブログ置き換わったとしても、自己のデザインの肯定と破壊的な消費への批判の差異を見分けることは事実上不可能だ。これは消費文化とデザインの相互に依存的な側面なのだ。

Hand-Eye Supply's Pop-up Institute for Craft and Ingenuity
http://handeye.la/

「Hand-Eye Supply's Pop-up Institute for Craft and Ingenuity」は、ロサンゼルスの「Space 15 twenty」において行なわれる一ヶ月のプップアップショップと教育的イベントです。Hand-Eye Supplyはポートランドのお店で、地元から世界レベルで、デザインとものづくりのコミュニティを提供しています。そしてインターネットの最も古いサイトの一つCore77のオフィシャルストアです。Space 15 Twentyはレストランや本屋、ギャラリーパフォーマンスなどを含くみ、クリエイティブブランドとのコラボレーションをおこなているユニークなお店です。

充実したポップアップショップに加え、Hand-Eyeは、ワークショップやデモ、上映会、その他を友人やコントリビュータによって実施し街のパブリックとメイカーコミュニティに関わっていきます。ぜひスケジュールをみてください。

Our Pop-Up Institute Manifesto

私たちは創造的プロセスによって価値は強められると信じています。作るという行為自体を重視します。そしてロサンゼルスのダイナミックなメーカーコミュニティに関わり、クリエイティブワークの楽しさを提供することでパブリックに向けてアピールしていく、このユニークな環境を促進していくことを目指しています。「Hand-Eye Supply's Pop-up Institute for Craft and Ingenuity」は私たちの想いの実際的なマニフェストなのです。

生のメーカー魂を見いだし力づける。出来るようになるように手助けしていく。

創造的過程を解明する。私たちの賛同者は様々なフィールドから、愛で、コンセプト、プラン、テクニックを共有するために集まっている。そしてそれらの工芸への初期のアクセスを許可する。

メーカー、クラフトマン、行動家、DIY人はお互いに学び参加することが出来る場所における規律をまとめる。

遊びの場を提供する。間違ったことをせよ。遊び、実験することは権利を手に入れる手段だ。

小さく始め、でも大きく考えろ。手を汚しでも意識は清く、重い描ける間は世を徹してとどまれ、そうでなければそれを壊して明日再びはじめろ。

先人に学び、次の人々に教えろ。しかしもっとも重要なのはわれわれはここに作るために集っているということ。
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# by shinichi-log | 2013-09-07 14:32 | Comments(0)
Umaki Campで考えたことメモ
8月もパリの展示の準備に終われ気がつくと9月になってしまったけれど、8月16日に小豆島で行なわれた建築会議のこと。といっても会議の内容そのものではなくて、会議にあたって考えたことを少し記録。

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会議は、大阪を拠点に活動するdot architectsが設計し、施行までをおこなったUMAKI CAMPという建物について60年代から80年代生まれの幅広い世代の建築家が集まって話しをするというもので、世代的な差や活動の幅もありつつも、司会の藤村さんの采配によって非常にエキサイティングなものとなり、大変勉強させていただいた。私自身は家成さんと造形大で半年間授業を担当していたので、毎週末に現場で作業している話しは春から伺っていた。なので、そのプロジェクトの始まりから、地域の人との楽しそうなやり取りを聞くにつけ、この建築がどのようにかの地に存在しているのか、実際にみ、地元の人に話しをきけるのを心待ちにしていた。ただ、まずこのdot architectsをふくむ70年代生まれの関西の建築家の状況について少し考えてみたい。

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# by shinichi-log | 2013-09-03 19:21 | Lecture log | Comments(0)
女優の魂
チェルフィッチュの女優の魂を大阪のepockでみた。魂となってしまった女優さんが自身の女優について、演劇について、演じるということについて、まさにパフォーマティブに語るという内容。

シンプルに役者と舞台という構成だったので、役者の身体と言葉によって空間がぎゅっと捻じ曲げられる感覚がよりフォーカスされ、大変楽しかった。というセリフや身振りそのものに意味や根拠を求めることではなく、それら一つ一つが生み出す効果こそが重要なのです、というセリフはそのまま建築へもパラフレーズできてしまう。ディテールや構成、そうしたものの総体としてどのような効果、どのような雰囲気、どのような強度が生まれているのか。もう一つの主題はまさんこの作品の「強度」ということを巡って語られていたわけだが、そこには意識的な実践によってしかうまれないのか?

それにしてもあくまで覚めた目線で、それでいて嫌味にならず、ユーモアを生み出すことができる岡田さんはすごいなー
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# by shinichi-log | 2013-08-08 16:22 | review | Comments(0)
コレクティブな出来事をそのように語る
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《飛び立つ鳩》
HAPSで行なわれたHyslomが行なう鳩を飛ばすというパフォーマンスに参加し、これまで行なってきた改修ワークショップの時間について話しをしてきた。通常ならば、スライドを使って最初の状況からどういう事を考えてワークショップを企画し、どういうエピソードがあり、それにたいして自分たちなりの考察などを話すことになるのだが、今回は特に時間についてということが気になって何か少し異なる語り方が出来ないかと考えた。

建築のプレゼンテーションであれば建築家がその建築の制作主体としての立場で、1人称的に語る。私はこう考え、こういうふうに意見を聞き、それにたいしてこう応えて、結果こういうものができました、と。(先月行なったShibauraHouseでの展覧会は施主を主体とした「語り」のようなものが、建築家のそれと並列的に並べられる状況を目指していたと言えるかもしれない。)通常であればその事に特に疑問は持たないのだが、しかしながら建築の時間という事にフォーカスするならば、そこには建築家も含む複数の主体による時間が存在しており、しかもかならずしも建築家のそれだけが特権的に扱われる理由も無い。特にHAPSの改修ワークショップにように非常にコレクティブな営為によって作られた建築の時間は、一体どのように表象すべきなのか?みんなでつくったものをある特定の主体=建築家によって回収させずに、そのまま「みんな」として語るにはどうすればいいのだろうか。

結果的には、その場に来ていた人の中からワークショップに参加していた人にカメラを渡し、それをもって建物内をめぐりながら印象的な出来事を話してもらうのを、別室のスクリーンでみんなでみるというパフォーマンスを実施した。そうした複数の具体的な語りの中から現れてくる曖昧な全体性を掬いとれないかと思ったわけだが、正直準備不足もあり、うまく語りを引き出せなかった。ただ試みとしては何か次に繋げる事が出来るように思っている。

ここまで書いてきづいたが、前々回のエントリーの田中功起さんの話にかなり近いことを考えてしまっている笑
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# by shinichi-log | 2013-08-03 04:50 | Comments(0)
TNAオープンハウス - 新築的なリノベーション
日曜は午後からTNA設計の工場のリノベーションのオープンハウスのため倉敷へ。
もともとは周囲にたつ工場と同じような外観だったとのことだが、ステンレスとポリカにつつまれた外装からは、リノベーションというよりも新築のような印象をうける。

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通常リノベーションといえば既存部分とのある種のコントラストによってデザインを成立させることが多い。もしくは手の後がそのままデザインになるようなものもある。たとえば長坂常さんのリノベーションはこの類いの方法論を意識的かつ発明的に用いている。

一方TNAのリノベーションは、既存部と改変部の見分けが一見するとつきにくい。両者のコントラストによってではなく、まったく新しい構成のなかに建築が建ち現れている。これはつまりリノベーションが新築と同じ作法で作られている、ということかもしれない。新築と同じということはどういうことかというと、敷地があってそのコンテクストや状況をひとつひとつ丁寧に拾いながら構築されていく一つの体系だということだ。個人的に素晴らしい住宅である程、その体系は一つの織物のようであると感じている。つまり構成にヒエラルキーがないというか、すべての要素が必然性を持って同時に決まっているような感覚を与えてくれる。新築とはそうした一つの織物であるが、リノベーションは端的に言えばパッチワーク的、コラージュ的で衝突や異化作用が強い質をつくり出す。しかしながらTNAの場合リノベーションでありながら、コントラストによる空間の質ではなく、新築的な織物としての質をつくり出している。

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TNAはよく凝縮させるというような説明の仕方をされる。それは具体的な条件や与件にたいしてヒエラルキーをつけて整理していくのではなく、むしろそれらを思考の渦の中に一緒くたに放り込み、高速回転させることで、そうした複数の具体的な物事が未分化な状態のまま統合されてしまっているような建築をさしている(と理解している)。それを、倉方さんは連立方程式のようだと言われていたが、なるほど確かに複数の問いがすべて並列に並んでいて、同時に解けていく感じがそこにはある。

今回リノベーションされた工場もまさにそのような状況が生み出されていた。ここでもまた一つ一つ丁寧に条件や使われ方、空間の質感などが丁寧に読み込まれ、非常にクラシカルな表現の中に複雑な全体性が生み出されている。それもリノベーションでありながら構造的な構成と意匠的な構成が並列的に存在しているからに違いない。説明を聞くに構造的にかなりアクロバティックなことが行なわれているのだが、力を直接的に表現せずに全体の中に統合されている満田さんの仕事にも敬服させられる。

昨年竣工した資料館も、何度みてもどこにどのような手が加えられているのか判然としない。もともと2階の床には穴があいていたらしいが、その穴に新しくつくられた屋根をささえる柱が貫通しているので、後から開けられたもののように感じなくもないし、そう思っていると今度は屋根が最初にあってその後に壁や床が作られたんじゃないかという錯覚が生まれてくる。個人的に一番のなぞは柱の間につくられたコンクリートの壁。なぜそうなったのかそれだけでは理解できない、でも全体としては収まっている不思議な存在感だと感じた。

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ちなみに倉敷は初めてだったわけだが、美観地区という身も蓋もないネーミングに近代的枠組みを感じ、いかがなものかといぶかしんでしまったが、実際は阿智神社のある小山を中心にかなり面的に保存が利いていて、運河沿いの情緒も観光地のそれとしてすばらしく、また有名なナマコ壁の美しいテクスチャーを堪能し、数時間だけであったが有意義な滞在だった。
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# by shinichi-log | 2013-08-01 04:04 | daily | Comments(2)
抽象的に話すことのこと
同志社大学で行なわれた田中功起さんと蔵屋美香さんによるベネチアビエンアーレの報告展。田中さんは青木淳さんの作品集に文章を書いていたり、また青木さんも田中さんのカタログに文章をよせているなど、00年以降のの建築の、特に他者性をめぐる、もしくはルールのオーバードライブ論と非常に親和性の高い作品を作っている人だなと個人的に思ってきた。正直今回のベネチアの「抽象的に話すこと」や、MOT ANNUALの作品など、蔵屋さんが述べていたように人と人の関係に焦点を当てた作品についてはよくしっていなかったが、それらも個人的な興味の対象と非常にシンクロする思考の流れを感じる事が出来て(たぶんに思い込みかもしれないが)大変有意義な時間だった。

実は今回の展示は昨年の建築ビエンナーレの展示をリサイクルして作られているらしい。そしてそこに明確に震災に向かう表現者としての距離感の違いが現れていたように感じたからだった。田中さんができるだけ遠まわりすることを選んだと語っているように、震災への直接的な言及は少ない。一方、伊東さんが若手建築家とともに行なった展示では、どれだけ当事者へと近づけるかが問題とされていたように思われる。しかしながらそこで示されていたのは、いうなれば若手建築家による協同的なコレクティブな行為であって、被災地の人々のそれではなかったのではないか。がゆえに、新しい建築へのアプローチが明確に示されていたが故の受賞だった。住民へのアプローチではなく、建築へのそれとして。そうした距離感が、昨年の展示に上書きされるカタチで今年の展示が行なわれた事でむしろ強調されていたようにも思われる。

田中さんは、具体的な事があつまって、見通しが曖昧になっている状態をそのまま表現として提示できないか、ということを抽象として考えたいと話されていたが、それは具体性と抽象性という二項対立的な図式を越えて、両者が「なめらかに」つながっている中で形成される状態を提示したいという事だったんじゃないかと思う。つまり関係性そのものを複雑なまま表現するにはどうすればいいのかという問題へとつながるような。そのために、単純な状況の設定、特に根拠がなく、全員が等しくルールに則るということは、ちょうどハイエクが、理性的な秩序でも、自然の秩序でもない、人々の振る舞いの結果として結果的に生まれてくる秩序を自生的秩序呼んでいるが、その形成のためには、非人称的でであるがゆえに平等なルールの設定(ルールの結果を消して知っていては行けないような)が重要であるというような話しをしている。

田中さんが所属するギャラリーの隣に事務所を構えている建築家の長坂常さんのつくり出す空間のありかたも「非人称的な行為」にあるのではないかと考えられる。つまり長坂さんの表現というのは、何かのイメージの付与や、テクスチャーを与える事ではなくて、ある素材、空間にたいして行なった行為そのものによっていると考えられる、と思っているのでこの繋がりは非常に興味深いなと思う。青木→中山英之ではなく青木→長坂常という読み方もできてくる。
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# by shinichi-log | 2013-07-29 17:25 | daily | Comments(0)
展覧会忘備録
東京都現代美術館でフランシス・アリス展の第2期と、収蔵品展2つをみる。フランシス・アリスはまさに寓意の力によって矛盾にみちた世界を再創造する。アートの素晴らしさをストレートに伝えてくれる。最初に展示してある消えかかった中央分離帯を塗り直す映像作品と、子どもの遊びを記録した映像作品も見逃せない。一方2部に分かれた収蔵品展でも最初に出会う神原秦の「マリアとキリスト」と最後の牧野虎雄の「少女」に非常に心ひかれた。前者は大正期とは思えないような抽象と具象のぎりぎりの境界で表現を成立させている作品で、後者は写実的な表現のなかに黒人(?)の少女の絶妙な表情が印象的。展示も全体的に見応えがあり、会田誠の作品があると思えば、チンポムのアイムボカンのインパクトにやられ、デマンドやホンマタカシの写真などもみることができる。個人的には最後の部屋の自画像がぎっしりと展示されている部屋がとてもよかった。

一方近代美術館は小企画の「都市の無意識」展を目当てに行ったのだが、企画展の「プレイバック・アーティスト・トーク」もよかった。前者は都市を幾重にもおりかさなった層としてとらえ、それらを地下やスカイライン、イメージの重なりとして抽出している。地層というのがそれまでの循環する時間性にたいして、不可逆的な一方向にながれる時間というものの存在を明らかにしたという趣旨のテキストや、スカイラインが輪郭を失った都市に置いて唯一境界ともいえるといった分析やとてもおもしろかった。またこれまでの美術館でおこなわれた作家のトーク映像と作品を同時に展示する企画展は、児玉靖枝や丸山直文など個人的に好きな作家も多く、また全体的に見ても秀作の多い展示でおもしろかった。また作家の解説と一緒にみれることで理解も深まり、新たな発見も生まれる。こうした記録映像はたいていそのまま眠っている事が多いので、メディア環境の変化にあわせてどんどん公開していくと、普及という点でも効果があるのではないだろうかと思わさせられる。こちらも展示の最後に飾ってあった岡村桂三郎さんの「黄象」という作品が非常にすばらしく、思わず見入ってしまった。大胆な構図と独特の質感。そして象のなんとも神秘的で穏やかな表情。よいものを見せてもらった感じがした。
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# by shinichi-log | 2013-07-15 04:16 | daily | Comments(0)
サラリーマンの格好
KA2013に協賛していただくための某社への何度目かのプレゼン。とうとう今日は社長プレゼン。久しぶりにスーツに身を包み朝から大阪でした。その後、紫野へ。少し時間があいたのでMAKIでコーヒーコールを注文、営業巡りの休憩中のサラリーマンを演じ、次回大見のワークショップの打ち合わせのためAtelier Michauxへ。先日漆喰壁を塗られたそうでどんどん素敵な空間に変化しているのを感じながら。で、7/28の大見新村は講師に鞍田愛希子さんを迎え、ハーブの収穫とお話、それに休耕地に様々な種を使ったワークショップを実施。ジビエとハーブと有機野菜の昼食つき。乞うご期待。
夜は、火曜日恒例の授業準備でした。造形大で4月から受け持っている「ソーシャルデザイン論」もすでに第11回。まずが学生が自律的に物事を考え、社会に向かい合っていけるようにと、いろいろと四苦八苦しながら続けてきたが、そろそろまとめにかかる時期か。とりあえず80分話しをするのにはだいぶ慣れてきたし、先週からはホワイトボードを使うことも覚えたので、次は質問をだしていく技術をみにつけねば。。。
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# by shinichi-log | 2013-07-03 20:46 | daily | Comments(0)



日々の何かについて、建築・デザインなど
by shinichi-log
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