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べつにどうでもよい事
特に震災以後、と言われるようになって建築学生の目の向く先がずいぶんと変わってきたようにも感じる。社会に目を向ける事がトレンド化する。 それによっておそらく、昨日藤村さんが言っていたけど、建てないということが魅力的に写るという現象が起こっている。その片棒を担っていると言えなくはないが、誰かのためにやっているわけではないので別によい。 できれば学生の時はできるだけ夢を見るのがいいと思う。できるだけ大きな夢をみて、世の中がどうなろうと、好きな建築家の作品ができれば長い時間かけて見に行くし、建築雑誌を眺めるのが至福の時間であるべきだ。そうして深く根を張ってこそ振り向ける世界もあると思うから。 なんかちょっとまじめすぎない?
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朝から激しい雨が降り続いている。 事務所で仕事をして、夕方京都会館の話し合いに参加。 12 国立国際美術館に風穴展をMと見に行く。 相変わらず島袋さんの作品はすてきだった。 亀の指が5本あったことに感動。つまり亀と自分が同じということを実感。 夕方公共政策論でレジメを発表。 13 事務所で比較的まじめに仕事。 SOTの企画書とK×Aの後援依頼について 14 ― 15 SO展最終日かつギャラリートーク。 前回の反省に基づき準備するも、建築の話しになかなか結びついていかなかった事が非常にもどかしい。 進行自体は前回よりもよかったと思うがまだまだ反省は多い。 打ち上げで近藤さんのバースデーを祝い、oil、みよしという流れで解散。 ![]() 16 事務作業およびSOの撤収。夕方松延君が手伝ってくれた。 17 ― 18 ![]() 高橋さんの展覧会の設営を朝から伸吾さんと進める。 と同時にK×AとSOTのオファーメールを同時に送信。 返事の有無に一喜一憂して過ごす。 この頃はヘレニズム文明についての歴史書にはまっていた。 まさに歴史は教訓と人生の示唆に富んでいると同時に、そのストーリーはどんなストーリーテラーよりも巧み。 作者の矮小な思想やメッセージが存在しない、ただ、歴史が語っている。 19 廣瀬さんと一緒に龍谷の食堂でランチ。 久しぶりに機構の事務所にいって休暇の届け出。 夕方、同志社で授業。 20 午前中からソーキチで家具制作。 夕方、NO ARCHITECTSの事務所開設のパーティーにお邪魔する。 いわゆるクリエーター系のアパートで、いろいろと楽しそうな人が集まっていた。 運河沿いのロケーションはかなりいい。 21 榊君とミーティング。 artzoneでのトークイベントに参加。吉村さんの話しがこのタイミングで聞く事ができてよかった。 建築にかかる規制力のうち、環境=敷地、身体みたいなものでなく、法規、市場のようなものから建築を考えていきたいという話しに共感。それと建築の時間のうち建設の前後をどうとらえるのか?という問題は自分にとってもアクチュアルで面白かった。テーマは制度ということだったが、制度の中にいるHさんが制度の中にいつつそれを壊していくことで新しい動きを作り出しているのにたいし、吉村さんは制度をうまく読み替えていく事で建築をドライブさせていっているのではないだろうか。 藤原さんのモデレートの上手さが身にしみて実感。 結局この日もoilにて打ち上げ。 深夜に辻君と話していて出てきたアイデア(=目次)はそのうち実行したい。 22 ソーキチでほぼ一日キッチンでの仕事。 これは文句無く楽しい。 これだと完全に、仕事が趣味で、趣味が仕事になっている。 幸せの経済学と言う映画の上映会が行なわれていた。 23 午前中は機構の仕事。 午後からはおもにパリ行きの準備。 25 ソーキチで研修。 夜は京都会館のオペラ建設のニュースを受けてのブレスト。 民主主義のない政治と、国民の意識の低さ。 26 午前中ワイガヤ 午後から授業とパリ行きの荷造り 不安な中とりあえずの準備はできた。 27 関空からオランダ経由でパリへ。 昨年リサーチでパリに行ってから早いもので一年が過ぎている。 一年あってまだここという感と、やっとここまでという感が混ざり合っている。 到着後、Benの家に向かいマルトと再会し、荷物を置いて夕食に出かける。 Ben,田村さんと合流。 日本時間の朝8時頃まで起きていた事になるのでこの日はかなり疲れた。 長い一日。 28 午後からl'ESAのギャラリーが見学可能という事で田村さんと現地待ち合わせ。 l'ESAのギャラリー部門のディレクターであるCedric(ベルギー人の建築家)と挨拶しギャラリーを見学。 写真でみるよりもよいスペース。オーディトリアムは空間的にはいいのだけれど少々汚い。 先週はアイゼンマンのレクチャーがあったらしい。 昨年も行ったガレット屋さんへ行く。 夕方、原口さんとポンピドゥーの前で待ち合わせ、近所のカフェで明日からのミーティングについて打ち合わせ。 その後グランパレにMONUMENTAを見に行く。今年はカプーアによるインスタレーション。 背後の思想やコンセプト云々ではなく極上のエンターテイメント。モニュメントとはそういうものかもしれない。 最後は、Olympiades近くにある中華街でCCTVをみながら中華料理を食べるパリの夜。 一日重い荷物ごと歩いてしまったのでかなり体力を消耗。 ![]() 29 マルトのアトリエのLunchPartyにおよばれ。 途中、駅近くの朝市でで買い出しを行ないチキンのローストやチーズやパンを購入。 市場へ行くと気候的な豊かさをまざまざと感じさせられる。果物も野菜も種類と量も豊富。 ウサギのローストがいくぶんグロテスクな様相。顔が、、、 すばらしいランチタイムを過ごす。 何か特別な料理が無くても、楽しめるのが気楽でよい。 その後、後ろ髪を引かれつつも、Cedricとミーティングのため市内へ。 途中からDjamelも加わり、トークイベントでのトピックについて議論。 最後に翌日のOdileとの打ち合わせに向けて議題を確認し解散。 この時に予備の財布をすられる。油断禁物。 気分転換に蚤の市を見て回り、ビールを飲んで帰宅。 30 午前中Cedricと事務的な打ち合わせを行なう。 午後、教務課のMarieさんと共に条件をつめていく。この人で回っているんだなという感じのしっかりとした人。少し安心できる。 その後、Odile Decqを交えてランチミーティング。 Odileさんはまさにカウンターカルチャーを体現したような人で、保守的な事を非常に嫌い革新性を大事にしている。大学の運営方針もだから反アカデミズム。日本の建築家がみな有名事務所出身な事に少しばかり不満だったようで、新しい道を切り開いてる人がよいとずっと言っていた。 夕方GRAUとの顔合わせが延期になりかわりに、l'AUCでDjamelと再度打ち合わせ。 Djamelさんの位置づけとサポート態勢の確認について。 原口さんも一緒にBenの家で夕食。ほんとおいしいハムとチーズがあれば夕食はそれで十分。 日中の空き時間を利用してオランジュリー美術館へ。 モネの睡蓮はこれまで何作品か観た事があったが、それとは全くとがった体験。 まさにこれはインスタレーションのよう。刻々と変化する表情。深みのある透明感。 有名だからという事を超え傑作というものはあるなという事を再確認。 ![]() 31 ![]() 午後からお土産を買いに街を練り歩く。 街を歩いていると極力いろんなところに行こうとするのに、面白い事に結局同じ場所を何度も通過する事になる。 そういう人の意思とは関わり無く都市の結節点のような場所は確かにある。 夕方、Thomas Raynardへのヒアリング。 こころよくプロジェクトへの参加を了承してくれた。 都市というよりかは地方でのプロジェクトを好み 建築が周囲の環境から少し独立しているような印象を与える。 ![]() 1 岡田利規「コンセプション」を読む。 我々が問題とし課題としなければならない先行世代が行なっている事は何か? その先にある壁をやぶらないといけない。それは、いわゆる脱構築的な方法が必要。強度を持たせるため。基準はそのまま、仕組みを利用して、そうじゃないものに向かっていく。 具象と具体について ダンスは具象を消して具体(身体)のみでいく。 具体芸術もそう?素材のみ。具象=表象がない?→アングラ的なつまり意味を消していく行為=ダダ??具象と具体が併置されている状態の強さ。。。 ヨゼフソンの彫刻=具体であると同時に具象であるといえるか? 東京と京都とイベント続きの週末最終日 とはいえGWど真ん中の日曜日。 なりがradlab.に遊びにきてくれたので、夜会田君となりと飲みにでる。 2 快快「はつしば」を観劇。そもそもこの体験を観劇と言ってよいのか。 インタラクティブというような双方向というのでも違い、演出家も舞台の端から見守るのではなく、その場の中にいて調整していくような感じ。はつしばという話のプロットがただあるだけで、それを演じるのではなく、今ここで生み出していく=パフォーマンスの連続。役者も演じるというよりパフォーマー?気がつくと観ている側も積極的に舞台に関わる事で、どんどん状況が面白くなっていく。話がではなく状況が。それが底抜けに自由で楽しい。 昨日の具象/具体でいえば、物語のプロットにそう事でかろうじて具象である事にとどまりながら、そこで行なわれるパフォーマンスはまさに具体として現れている。 新しくなった大阪駅、その背後で進む北ヤードの建設を目撃 3 大山崎山荘美術館へ。 その後ギャラリーで当番 黄砂がひどく、なおったはずの花粉症症状が再発。 4 午前中socialkitchenでの研修。 午後からギャラリー当番。後再びソーキチへ。会議。 5 6 7 kitsouneで髪を切り、 榊君と打ち合わせをすませ 夕方野村君の結婚式2次会へ。 oilにてふとしさん杏ちゃんと飲む。 8 SPACEOURSELVESのギャラリートーク。 準備不足からくる進行のまとまりの無さ。散逸でまとまりに欠ける話題。 せっかくの同世代トークもうまく盛り上げる事ができず。 反省多し。打ち上げ後はhanareradで朝方まで。 9 午前中は天気もよく、元木さん天下一品の本店へ向かうも臨時休業。 銀閣寺店まで300メートルというのにだまされ、結局百万遍まで向かう。 午後からsocialkitchenで研修。 10 久しぶりに事務所に出社。事務作業をこなす。 夕方同志社の授業。 図書館でフランソワシャムー「ヘレニズム文明」とパウロ・コエーリョ 「巡礼者の告白」を借りる。 いつ読むのだか。。。 ちなみにhellenistique=ヘブライ語法まじりのギリシア語のという意味らしい。 夕方から激しい雨。 今日明日は國時さんが行商のためhanareradに宿泊中。 ![]() 21 機構、公共政策論授業。権利の獲得のための法律。 帰宅後、田所さんと松本の教会の原稿打ち合わせ+伸吾さんとLABORATORYで6月のイベントの打ち合わせ。 22 布野さんインタビューのため滋賀県立大学へ。タウンとアーキテクトの取材。 その後、原口さんの壮行会。鈴木さん、松延くんらと。朝までみっちりアート談義。最後はみよしで締め。 23 ボヤーっとした体を引きずって起床。 事務所でDMおうけとり、夕方アーキフォーラム。もと新建築編集長、GA創刊編集長の石堂さんのお話。新建築という雑誌が今や一種のアーカイブ化しており、インフラ化しているのではないかとふと思う。 24 午後からコーナンへ模型台の買い出し。 DM送付作業、ラベル張りなど。 25 午前中、機構。 午後から模型台をY君Sさんらと作成。夕方までにほぼ模型台が完成。 レイアウトも特に問題はなさそう。帰宅すると、高校時代の親友のYから結婚式の招待状がとどく。 26 午前中、微妙に足りていない模型台の材を買いにコーナン。角材を抱えて地下鉄にのり事務所へ。昼から学生が手伝いに来てくれるのに合わせて台の作成。とりあえずペンキ塗りまで完成。 同志社へ授業。今日はサッチャー政権からブレア政権への変化についてなど。 都市政策論は都市系の話でそれなりにおもしろかった。建築協定、地区計画の違いなど。 事務所に戻って手伝いにきてくれた一回生に部屋のペンキ塗りを手伝ってもらう。 楽しんで手伝ってくれるからこちらも気が楽。予定通り設営は進んでいる。 27 午前中からプレマッチング交流会。その後模型設営。 28 午前中設営の残りを行ない、2時頃に新幹線にとびのる。 富士山がとてもきれいにみえた。ほんとひさしぶり。 夜、とびらプロジェクト報告会&乾中山対談。スライドがぬけぬけだった件。反省。やはり僕はどこか抜けてしまっている。来場者多く、トークの内容も非常に興味深いものだった。 ただ、この会の成功はあくめでもイベントの成功ではなくとびらプロジェクトへのメンバーシップが集まる事。だからその事を忘れていてはいけない。メンバーシップを成功させる事が本当に大事。 打ち上げはAXIS一階で、そのごついにリアルまっちゃん、3次会は近くのバーへ。 解散するころには空が白んでいた。とてもたくさんのビールが飲み干されていたよう思う。 ・乾さんと中山さんの対談について忘備録 乾さんによるプロジェクトの紹介。建築が個別解であることから一歩進んで、「普遍性の獲得」へと至る事が、世界につながる存在としてある事なんではないかと指摘。その時に建築は、タイポロジーにつながるだけの合理性が持つ強度によって建築が成り立っている。一方中山さんは、ある意味を否定するのでも乗り越えるのでもなく、立ち位置を絶えず相対化することで、両義性の巾を調整している。2人とも既存な意味をずらす事で街や世界につながっていく事を目指しつつも、一方は普遍性の獲得へ、もう一方は両義性の振幅へ向かっているのが非常に興味深い。 その後の、延岡についての乾さんのお話について。建築のシェアの仕方を明快に分類。プロセスの共有、ユーザーである事の共有、建設を共有、施主である事の共有。プロセスはアレクザンダーのように人々が設計の過程に入ってきて何かを生み出すこと、ユーザーである事の共有はうまく覚えていないが、建設の共有はまさにワークショップなどで作る事、最後施主の共有が乾さんが延岡でしようとしている建築の共有。賢い施主に一緒になるということだろうか。このことはとびらプロジェクトも同じで、たくさんの賢い施主を探しているのだと言える。ただその時のコミュニティは地域ではなく建築という趣味の領域であり、また作られるべきものはそこにあるという事かもしれない。もう一つ、spaceourselvesは、建設の共有を行なおうとしている。その条件の中で建ち上がってくる建築の姿があるはずではという事なのだけれど。そして、模型の販売=施主であることの共有が生まれる仕組みでもあるのかもしれない。 シェアのリテラシーが生まれつつあるのかどうか見極めたい。 一つ峠を越す。 29 目覚めると目の前に東京タワー。さすがに昨日は飲みすぎた。少し頭が痛い。 普段より本数の少ない地下鉄に乗り込み3331へ。 大室君のグループ展を見た後、SOの巡回展の可能性について長内さんと打ち合わせ。6月中旬の巡回がほぼ決まる。 その後新国立美術館へ、アーティストファイル展、森美術館へフレンチウインドウ展。あまりぐっとこない。フレンチウインドウは面白いのだが、非常に知的なコンテクストの操作に一抹のむなしさのようなものも感じてしまう。 建築の模型が作品として成立させるための方法をもっと見極めが必要。 夜は西田司さんと坂山さんのはからいで六本木農園でおいしいお食事。 いろいろな話題。建築の公共性、社会性の話。丸の内朝大学、六本木農園、建築家、、、 30 4月ラスト。 今月はSPACEOURSELVES、とびら報告会、松本竣工図作成、colpuの研修などであっという間にすぎていった。桜も咲いてたっけかな、という感じ。 午前中ホテルから日比谷まで歩き、都現美の田窪展とMOTannual、コヤマトミオのハンスヨゼフソン展とまわる。 田窪展の椿やリンゴのドローイングの美しさははげしい。床にしきつめらたタイルが、歩みと共にかなでる音も心地よく、非常に完成度の高い展示。途中に作られていたアルミのフレームで作られた和室は、アルミの軽さと精度が木材のそれと似ているのか、違和感のないとても清楚な空間が生まれていた。(簡素な作られ方が和の美学と調和している?)初期のパフォーマンス、その見せ方の面白さ。バーボン一本分のお話とか?パフォーマンスはそのものを見るよりもそれが行なわれた記録を事後的に痕跡として受容することがおもしろい。事後性?何?。金比羅の建築模型も展示されていた。建築の模型の経験は空間そのものではないが、建築をアートの文脈に置くのであれば、経験よりもコンセプトがどのようにあるのかを表現されている方が説得力があるのではと考える。美しさと強度、耐久性。。。 その後帰京。東京駅から新幹線は久しぶり。東京の街を眺めながら目に入ってくる人の営みを感じる。 夜は、SPACEOURSELVESのレセプション。いつになく盛況。模型が倒れないか心配した。parkcafe,oilと2、3次会、最後はNOarchitectsと403とともに王将、そのままみんなでhanareradに一泊。 ![]() 11(mon) 震災から1ヶ月。と同時に統一地方選から一夜明けた月曜の朝。 松本の残務仕事を出来る限り終わらせるつもりが、テキスト作成で大きくつまずく。このままではまずい。 今日も東北地方では大きな余震がおこった。 12(thu) 午前中、新しいパソコンが届いたので時間調整でお休みにしてセットアップ。 夕方は同志社で2コマ分授業。 その後とびらプロジェクトミーティング。 ポーのユリイカを読みはじめる。宇宙(世界のすべて)についての記述。 一遍の詩たりうるとはどういうことなのだろう。 13(wed) 午前中機構のインタビュー研修。 疎水沿いの桜の木の下で。そろそろ桜の散る季節。 疎水に桜の花びらの帯ができている。 老老介護の現場に遭遇。これからの高齢化社会において、高校生の段階でホームヘルパーの資格を取得するべきではないかと考える。 「SPACE OURSELVES」の企画書を調整。 再度、出展予定者へ連絡。 14(thurs) 機構で事務作業など。 repの展覧会の出展者がほぼ固まる。 socialkitchenで実践研修の打ち合わせをおこない、同志社で公共政策論授業。 法は市民の自由を縛るのではなく、権力の力の範囲を限定するために作られた。。。 夜6月のLABORATORY企画で大泉さんと打ち合わせ。 その後、鈴木さんから先日撮影した松本の教会の写真を受け取る。 後半の何枚かがとても鈴木さん的な表現。 中山さんの展覧会のポスターとDMの発送作業をする。 15(fri) 神戸での打ち合わせは延期。 京都にとどまり榊君とロイホで打ち合わせ。 複数のプロジェクトが同時にリリースに向かっている。 5月以降は今進めているプロジェクトの運営面でのハンドリングが難しくなってきそう。 16(sat) 昼前まで寝る。 少し片付けて事務所。岡田さんと中山スケッチブックの作成。 その後、ARTZONEの梅田君展覧会。今回はVOXビル全体を使った展示。よく訪れるビルがあんなにも複雑な構成になっていたなんて。。。梅田君の展示と相まってビル自体が生き物みたいに感じられる展示でおもしろかった。 夕方、Benとパリのプロジェクトスカイプ。今回は長めに話ができたのでだいぶ通りがよくなった。来週のpariでの打ち合わせに期待。 夜は梅田君、さわひらきさん、松原さんらがhanareradに宿泊。 みんなでyamagaへ。 17(sun) 午前中宝塚。京都へとんぼ返りし、西山君たちとスカイプ。 14:00から松原さんのアフリカのプロジェクトの報告会@芸セン。 ナイロビのアート事情の未成熟だが確かに息づいている感じがとても魅力的だった。 現地人ですらいくのをいやがる危険なスラムで堂々とプロジェクトをこなす松原さん。大胆不敵。 スタバで諸々の作業し、radで「まち飯」のみなさんと意見交換。 18(mon) 都市・・・想像上の全体 >地域・・・利害の共有? >コミュニティ・・・コミュニケーションによるつながり YさんとK×Aの運営方法について話し合い。 その後、前から気になっていたtatezanへ。 19(thu) 実践研修先決定。 夕方、同志社大学での授業。 現代起業論は近代国家の誕生の歴史について。それにしてもこの授業、レッセフェール。 都市政策論はあいかわらず行政マンによる説明会の様相。 前回も感じたけれど、何か施策しても十分検証ができてないし、自己評価にたいする切迫感が感じられない。せっかくの成果なのだから、検証して市民に示すべき。もったいない。 その後とびらプロジェクトの打ち合わせ。 報告会の内容を固めるなど。 帰宅やっかいごとの顛末を聞いて、意外と自分も悪かったと反省。 気の使い方が少し足りていなかった。 図面修正作業をほぼ完了させる。 Benに諸々打ち合わせ資料送付。パリ行きの日程をどうするか。 忙しさがピーク。 20(wed) 雑記 コンセプチャルアート・・・もの、ことのイデア(idea)を具象化した作品?何かの表現?ではなく ドイツのバイオ村についての記事。普及に一番大きな障害は人間の頭です、とのこと。 展覧会の企画はまもなく公開。パリの打ち合わせが今頃海の向こうで行われているはず。うまく事が運ぶことを願うばかり。 森川君と来年初の展覧会についての打ち合わせなど。首を大きくひねって考えてみる。 その他、David Tanenbaumをitunesで購入。 いよいよ「SPACE OURSELVES」の情報リリース。 そろそろ体力的にパフォーマンス能力も落ちてきている。頭も回らない。たぶん何かを吐き出すようなため息のようなものをはいてしまっている。膨大な疲労感と引き換えに物事は進んでいく。
4/17(日)日建東京オフィスで、
今、若手有志メンバーが中心となった活動の一環で 「東日本大震災の復興について考える公開ブレインストーミング」 (特別オープンデスク学生関連イベント) というイベントが開催されるようです。 いろいろな動きが進んでいくなかで 最終的にうまく実現に向かって収束していくことを願います。 以下いただいた詳細です。 More
ロームのネーミンングライツ、オペラハウス計画に端を発する京都会館の再整備計画。
なんどか、この問題に関する市民集会が開かれてきましたが4/18に岡崎公園・京都会館問題シンポジウムが開かれるようです。 京都の「岡崎公園」問題、 下記の取り組みを、まちづくり市民会議が行います。 ・・・・・・・・・・・・・・・・ 岡崎公園・京都会館問題シンポジウム 日時:2011年4月18日(月)18時30分~ 会場:京都教育文化センター 2階 202号室 (http://www2.odn.ne.jp/kyobun/) パネリストは、 村瀬隆也さん(岡崎公園と疏水を考える会事務局長) 本多昭一さん(新建築家技術者集団代表幹事) コーディネーターは 中林浩さん(神戸松蔭女子大学教授、新建京都支部)が行います。 (参加費:無料) 「問題」となっていますが、京都会館を再整備するかどうかではなく、この再整備構想を通して見えてきた行政の進め方への問題について議論する場になるのではないでしょうか? 見かけ上の市民参加、パブリックコメントや若者会議、100人委員会、〜先生に参加していただいたという審議会の裏で、形式上は間違っていないかもしれないけれど市民には隠れて進行する計画。気がつけば、京都には水族館がたち、岡崎公園は観光開発で賑わいのあるMICE地区に(言葉で書くと良さそうに感じるのはそのように刷り込まれているからなのでしょうか。) さてさて、京都市が一つ覚えで繰り返すMICEプラン。その実態はこんなこと。。。 http://blog.goo.ne.jp/y2sakaki-b/e/9152c80c4903fccf9cc149f3e6a25ed3 京都の持ってるポテンシャルはき違えのうえ、センスなさすぎではないでしょうか。 ![]() 1 松本の教会の撮影へ。おそらくこれでしばらく松本にもいかなくなる。 撮影は鈴木崇さんにお願いする。自分でもみれていなかった建築の姿をいろいろと掘り起こしてもらえる事を期待する。宿泊はいつもの健康ランドへ。ほんとにここに来れなくなるのが残念。 夕方はるばる広島から谷村さんが見にきて下さった。非常にありがたい。 2 早朝より撮影開始。午前中の光がとてもきれい。礼拝の時間帯にこのように穏やかな光が入ってくることが確かめることができてよかった。午後、ハル、み江さんが来訪。 撮影は順調にすすみ帰京。深夜1時頃帰宅。 Liam展の変わりの企画を考える。パブリックをうみだす建築のカタチ? 3 疲れが抜けきらない朝。少し寝坊して宝塚へ。 午後からは片木さとインタビュー原稿の打ち合せ。ストーリーの抜けをチェック。 終了後、近所のレストランで飲みながら雑談等。 4 大学は新学期を向かえているようで、昼休みに足を運んだ龍谷大学のキャンパスはなんともすがすがしい雰囲気に包まれていた。桜もきれいに咲いている。 夜、とびらプロジェクトの打ち合せ。中山さんの作品はやはり非常にレトリカルで、でもそれが明示的ではない方法で空間をつくっているようにみえる点でとても優れている。また、建築そのもので世界が閉じているのではなく、建築からの広がりが考えられている。それも内に外に。。。 パリの企画に関しての助成金がもう一本とれたと報告、しかしBenからの返答はない。明日、田村さんに電話してみる必要がありそう。。。 5 徐々にcolpuにもなれてきた。 午前中のグループワークは、地域公共人材についてのディスカッション。午後から 内田樹の「日本辺境論」をほぼ読み終える。。。 6 同志社で履修登録など。午後から西尾さんのインタビュー講座の実践編。 7 同志社大学での科目等履修がはじまる。午後からオリエンテーション、夕方公共政策論の授業。合間に教科書等購入。 展覧会オファーのメール送信を始める。オファーを出してから返事が来るまで、精神的に不安定になるので注意。 「デフレの正体」をやっと読み終える。 8 夕方から、梅小路公園の水族館反対運動の出版記念で法然院へ。もうすでに建設が行われている水族館をまえにして、何を為して何が出来なかったのかを記録したパンフレット。この出版について意味があるとはこの場合何を意味するのか?そもそもこの活動に意味はあったのか?おそらくあらゆる場面で読みとっていかないといけないのだろう。今後は岡崎公園、京都会館についての話が進んでいくことになると思う。あいかわらず、闇の中でもぞもぞとうごめきながら話が進んでいる感じがする。なぜこんなにも、私たちは知る事ができず、無力なのだろうか。 法然院のあとは、幾分すっきりしない想いをかかえつつ田中屋。久しぶりだったけれど前回と変わらぬ暖かさ。おいしい日本酒と手料理を楽しむ。 家に戻るとSとIが飲んでいた。そのまま合流。 Benからメール。なんとかうまくいきそうな気配。 Nさんから出展OKの返事も。うれしい知らせ。 9 展覧会のメールをとにかく送信。東北の方々にも連絡を取るなど。 なんとか15人くらいの参加者は集まりそうな気配がしてきた。 昼過ぎから、何となくアルコールが抜けきらないような感じを引きずりつつ大阪の花見へ。 ひさびさの大阪は都市だった。それに比べると京都はなんといっていいのかわからなくなる。 知らない人の多いお花見。なにはともあれ桜の木の下でゆっくりと過ごせるのは贅沢。 京都に戻り、京都に遊びにきていたYにちらっとで挨拶。 その後、hanareでGRLmagazineの販売の打ち合せ。やっと出来たかという感じ。 とはいえ、あれ以来何もやっていないのが少々気にかかる。GRLという看板もなんとなく借り物な感じがぬぐえない。僕らは僕らでGRLではなく生きている。 2夜連続の田中やは失敗。 10 metroのPOSMOへ。お花見日和の好天の中、わざわざ地下に潜ってのお祭り。 GTSVLの新曲よかったり、SJQのパフォーマンスが素晴らしかったり。GRLmagazineも中々の売れ行き。 Aとの会話の後にぼわーと思った事。 文化や芸術は、どのような生にも、どのような境遇にも、必然的に生まれる。生存欲求の高次に文化が位置づけられるのではない。文化や芸術をある特権的なものとして位置づけてしまうのは、そのように「調教」されているからなのか。常に別種の「調教」が存在すると言う認識に立つならば、文化や芸術や美はいまそこの生の中にしっかりと根を張って存在している。 集落の民家や生活の中に、文化があるように 縄文の過酷な環境の中ですら、美は存在していたように
「私は自分の義務をおこなう。ほかのことは私の気を散らさない。なぜならそれは生命のないものか、理性のないものか、または迷って道をわきまえぬ人びとであるからだ。」
マルクス・アウレーリウス「自省録」より第6巻22
3月に入って思っていたよりも予定が立て込んできた。
昨日は日帰りで松本の教会へ。完了検査も無事おわり、後は来週開けに森山さんにお願いしているカーテンを設置して引き渡しとなる。この日は、鶴林さん(sonihouse)にスピーカーを設置してもらい、前日に購入してきたIKEAの家具を組み立て。 日が沈み、それぞれ部屋の色がついた明かりが窓から漏れる姿は予想以上に美しい。ステンドグラスのような効果が十分に現れてきている。 今日は造形大の卒業制作展に行く等。大学全体が展示会場になっているが、起伏に富んだキャンパスには色々な場所が生まれておりよかったように思う。学科によって作品のクオリティにばらつきがあるのが少し気になるところ。 Iさんの作品について。非常に説明的な作品であるにもかかわらず、感覚的な展示(説明しても理解されなくていい)を目指していると言うことの矛盾。だとしたら、圧倒的に作品としてのよさを目指すべき所。なのにとてもコンセプチャルな表現をとるのはごまかしなのか。 RADのオープンデスクのあり方を再考。プロジェクト単位での参加が望ましいと言う結論に。 その他、たまっているメールを送りまくるなど。 明日は、西脇、明後日は東京、土日はokupaの搬入で、週明けまた松本。。。たてこんできた。
レッテルについて
少し前(といっても先週だからついこの前)からtwitter上で少し話題になっていたレガシー問題というのがあるのだけれど、その議論を読んでいて個人的に気になったのは「レッテル」という問題。あまり貼られて嬉しくないアレである。レッテルは貼る人と貼られる人がいる訳だが、双方の言い分としては、 貼る人「それがどういうものかはっきりさせる事で議論の対立軸がわかりやすくなる。」貼られる人「単純化してなざすことで思考停止されてしまう」 ではこのやっかいなレッテルについてどう対処すればよいのだろうか? 個人的にはレッテルを貼ると言う行為は極力しないように行動したいと思っているが、知らず知らずのうちに貼ってしまうものであることも忘れてはいけない。 むしろ、貼られる側になったときにどのような反応があるのか。まずおそらく多くの人はそもそもレッテルを貼られて、不利な立場に追い込まれるという状況自体を回避しようとすると思う。極力ニュートラルに、波風をたてず、たてたとしてもそれは無印なものをめざす。だれからもレッテルを貼られず、嫌な想いをせずにすむ。 一方で、レッテルを貼られまくる事でよくわからないとなる事もある。 たとえばmacにステッカーを貼っている人がいる。例えば萌えシールが貼ってある。そうすると多くの人は「こいつはおたくだな」と思う。だけどその横にPieceと書いた丸文字のステッカーがあり、さらにはドクロのステッカーもあればもうその人がオタクかどうかなんか分からなくなっていく。その人は、オタクでもあり、ヒッピーでもあり、ちょっと怖い人、、、、でもある。そうして複数のレッテルを貼られる事で逆に「レッテル」そのものを無意味化してしまう。「私は生まれなしている」(スーザン・ソンダク)のだし、不思議ではない。 現在、多くの人はレッテルを貼られないようにそーっと生きている。たぶん極端に政治的なものを嫌う(特に政党がらみ)というのもあの人は右翼だ左翼だとレッテルを貼られるがただただいやなのだろう。その気持ちはとてもよく分かる。ただ、そのように何一つレッテルを貼らなかったとしても、macにはリンゴのマークがついているように、自らが自らにつけたレッテル(無印な自分)によって縛られてしまっていることだってあるんじゃないか。 となると、どのようなレッテルが明日は貼られるのかということを楽しんでみるのはどうだろうか? と自戒を込めつつ、とあるツイッターでの出来事について思った事でした。 今日は、openlab.がありました。近藤さんによるアメリカの訪問報告。水野さんもきてくださって議論も盛り上がりました。これはまた後日。。。
QC3では、タウンアーキテクトをテーマに「地域」と「建築家」について考えようとしているのだけれど、そもそも「地域」という言葉のさす対象が曖昧で、実りある議論を始めようにも議論が噛み合ない。そこで現在は、「地域」というものがどのようなスケールの広がりを意味しているのかを中心に色々な人にインタビューに行っている。その成果はそのうちwebにアップできると思う。今日もその一環で、京都大学で地域経済学を研究されている岡田知弘先生からお話を伺いにいく。突然のお願いにもかかわらず非常に親切に対応していただき、レジメ付きのインタビューはさながら個人レクチャーのようでもあった。
個人的に非常に興味深かったのは、「生活」という言葉が出てきた事だった。経済と言えば資本や産業などが重要な主体として考えられているように思うが、先生は「産業」とともに「生活」を併せて考える必要性を訴えられていた。なぜか。産業というのは非常に縦割りの考え方で、農業、林業、建設業などなどが変化したかが個別に分析されるけれど、「生活」(地域)で考える事で、様々な各要素の繋がりを俯瞰的にみていく事が大切だと言う。また、経済活動には「階層性」があり、レベルとスケール毎にその場で働いているルールが異なっているので、グローバルなレベルでの動き方、国家レベルでの動き方、都道府県レベルでの動き方、市町村レベルでの動き方、コミュニティ単位の動き方とみていかないと、目の前におこっている事は見えてこない。資本の集中は国レベルで見ると東京一局集中だけれど、件レベルでみても県庁所在地へ集中していたりする。だから市町村合併によってそれまであった自治体のハブが移るとそれに伴って地域の人口流出が加速する。 あと、いかにして地域の中でお金を回していくのかをしないと、いくら公共投資をしてもほとんどお金は地元に落ちず、東京に戻っていってしまうらしい。特に行政の規模が大きくなると、巨大なプロジェクトをやりたがる傾向があるけれど、それでは地方にお金の循環は生まれない。むしろ小さな規模でいいから、地元の業者や企業からどれだけ調達できるのかに重きを置くべきなのだ。驚くべき事に京都だと東山区が独自に使えるお金は100万円程度らしい。あとはすべて中央(市)が権限を持っていて、このお金は区の中でなかなか回らない。しきめ細やかな問題に対処できない。これではいけないということだ。など、色々ときりがないのだけれどともかく、先生の統計的なデータを用いることで、階層を横断するかたちで何故その問題が起きているのかを調べつつも、フィールドワークなども積極的に行い、現場でどのような取り組みがうまくいっているを実際にみることで、再びそれはなぜかを俯瞰的に読み解いていく、それぞれの階層にあった介入は非常に学ぶべき所は多いと思う。 このインタビューの内容もwebにアップする予定。たぶん、ここに書いた僕の文章より実際の話は100倍面白いと思う。 (追記)地域産業と生活について 地域経済の【再生産】を支えるのは、地域産業である。単に資本が投下されればよい訳ではない。(資本「投下」まさに爆弾のように投下された後には大きな花火があがるが、後には破壊された街しか残らない。)そして地域に産業がある事で、住民の生活が成り立ち、その事が、生活、景観、環境の再生産にも繋がっていく。そのような地域内の再投資力の質と量を高めていく事が、地域のあり方を左右する。という事です。そのためには(ある強いリーダーのもと)ただがむしゃらにやればよいのではなく、きちんとした処方箋が必要。 その他、今日はDiplomaに行って、インタビューとSocialKitchenで榊君と打ち合せ+京都会館どうするか話を須川さんとする。しっしーの謎が少しずつあきらかになる。
昨年の春から田所さんと取り組んでいた松本での教会の仕事が終盤。
来週はとうとう引き渡し。 外観 ![]() 会堂 ![]() 会堂 ![]() エントランス ![]()
徹夜明けの今日は夕方まで寝た後家で作業。
たまっていくタスクをこなしていくものの、疲れの成果集中できない。 ので、山本尚樹の話題作REDを借りてきて読む。 浅間山荘事件にいたるまでの関係者の足跡を描いた作品。 普通の話と違い結末は分かっているのに、実際おこった事だという事実が、迫力をうみだしている。 死んでいく登場人物に最初から番号がつけられている演出が、マンガの世界から現実へと引き戻していくように感じた。 読んでいると、彼らの考え方や行動は完全におかしい。と思える。 と同時に、おかしな人たちだとは思わない。 環境と関係性しだいであの場所に身を置く事に誰だってなれる。 登場人物達はみな同い年くらいの青年な訳で、作者が丹念に描こうとしている彼らの青春の出来事には、ほほえましく共感できる所も多い。 だからこそ余計に読んでいてつらいのだ。
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