<   2013年 08月 ( 3 )   > この月の画像一覧
女優の魂
チェルフィッチュの女優の魂を大阪のepockでみた。魂となってしまった女優さんが自身の女優について、演劇について、演じるということについて、まさにパフォーマティブに語るという内容。

シンプルに役者と舞台という構成だったので、役者の身体と言葉によって空間がぎゅっと捻じ曲げられる感覚がよりフォーカスされ、大変楽しかった。というセリフや身振りそのものに意味や根拠を求めることではなく、それら一つ一つが生み出す効果こそが重要なのです、というセリフはそのまま建築へもパラフレーズできてしまう。ディテールや構成、そうしたものの総体としてどのような効果、どのような雰囲気、どのような強度が生まれているのか。もう一つの主題はまさんこの作品の「強度」ということを巡って語られていたわけだが、そこには意識的な実践によってしかうまれないのか?

それにしてもあくまで覚めた目線で、それでいて嫌味にならず、ユーモアを生み出すことができる岡田さんはすごいなー
[PR]
by shinichi-log | 2013-08-08 16:22 | review | Comments(0)
コレクティブな出来事をそのように語る
e0055325_4524722.jpg
《飛び立つ鳩》
HAPSで行なわれたHyslomが行なう鳩を飛ばすというパフォーマンスに参加し、これまで行なってきた改修ワークショップの時間について話しをしてきた。通常ならば、スライドを使って最初の状況からどういう事を考えてワークショップを企画し、どういうエピソードがあり、それにたいして自分たちなりの考察などを話すことになるのだが、今回は特に時間についてということが気になって何か少し異なる語り方が出来ないかと考えた。

建築のプレゼンテーションであれば建築家がその建築の制作主体としての立場で、1人称的に語る。私はこう考え、こういうふうに意見を聞き、それにたいしてこう応えて、結果こういうものができました、と。(先月行なったShibauraHouseでの展覧会は施主を主体とした「語り」のようなものが、建築家のそれと並列的に並べられる状況を目指していたと言えるかもしれない。)通常であればその事に特に疑問は持たないのだが、しかしながら建築の時間という事にフォーカスするならば、そこには建築家も含む複数の主体による時間が存在しており、しかもかならずしも建築家のそれだけが特権的に扱われる理由も無い。特にHAPSの改修ワークショップにように非常にコレクティブな営為によって作られた建築の時間は、一体どのように表象すべきなのか?みんなでつくったものをある特定の主体=建築家によって回収させずに、そのまま「みんな」として語るにはどうすればいいのだろうか。

結果的には、その場に来ていた人の中からワークショップに参加していた人にカメラを渡し、それをもって建物内をめぐりながら印象的な出来事を話してもらうのを、別室のスクリーンでみんなでみるというパフォーマンスを実施した。そうした複数の具体的な語りの中から現れてくる曖昧な全体性を掬いとれないかと思ったわけだが、正直準備不足もあり、うまく語りを引き出せなかった。ただ試みとしては何か次に繋げる事が出来るように思っている。

ここまで書いてきづいたが、前々回のエントリーの田中功起さんの話にかなり近いことを考えてしまっている笑
[PR]
by shinichi-log | 2013-08-03 04:50 | Comments(0)
TNAオープンハウス - 新築的なリノベーション
日曜は午後からTNA設計の工場のリノベーションのオープンハウスのため倉敷へ。
もともとは周囲にたつ工場と同じような外観だったとのことだが、ステンレスとポリカにつつまれた外装からは、リノベーションというよりも新築のような印象をうける。

e0055325_3595685.jpg


通常リノベーションといえば既存部分とのある種のコントラストによってデザインを成立させることが多い。もしくは手の後がそのままデザインになるようなものもある。たとえば長坂常さんのリノベーションはこの類いの方法論を意識的かつ発明的に用いている。

一方TNAのリノベーションは、既存部と改変部の見分けが一見するとつきにくい。両者のコントラストによってではなく、まったく新しい構成のなかに建築が建ち現れている。これはつまりリノベーションが新築と同じ作法で作られている、ということかもしれない。新築と同じということはどういうことかというと、敷地があってそのコンテクストや状況をひとつひとつ丁寧に拾いながら構築されていく一つの体系だということだ。個人的に素晴らしい住宅である程、その体系は一つの織物のようであると感じている。つまり構成にヒエラルキーがないというか、すべての要素が必然性を持って同時に決まっているような感覚を与えてくれる。新築とはそうした一つの織物であるが、リノベーションは端的に言えばパッチワーク的、コラージュ的で衝突や異化作用が強い質をつくり出す。しかしながらTNAの場合リノベーションでありながら、コントラストによる空間の質ではなく、新築的な織物としての質をつくり出している。

e0055325_431187.jpg


TNAはよく凝縮させるというような説明の仕方をされる。それは具体的な条件や与件にたいしてヒエラルキーをつけて整理していくのではなく、むしろそれらを思考の渦の中に一緒くたに放り込み、高速回転させることで、そうした複数の具体的な物事が未分化な状態のまま統合されてしまっているような建築をさしている(と理解している)。それを、倉方さんは連立方程式のようだと言われていたが、なるほど確かに複数の問いがすべて並列に並んでいて、同時に解けていく感じがそこにはある。

今回リノベーションされた工場もまさにそのような状況が生み出されていた。ここでもまた一つ一つ丁寧に条件や使われ方、空間の質感などが丁寧に読み込まれ、非常にクラシカルな表現の中に複雑な全体性が生み出されている。それもリノベーションでありながら構造的な構成と意匠的な構成が並列的に存在しているからに違いない。説明を聞くに構造的にかなりアクロバティックなことが行なわれているのだが、力を直接的に表現せずに全体の中に統合されている満田さんの仕事にも敬服させられる。

昨年竣工した資料館も、何度みてもどこにどのような手が加えられているのか判然としない。もともと2階の床には穴があいていたらしいが、その穴に新しくつくられた屋根をささえる柱が貫通しているので、後から開けられたもののように感じなくもないし、そう思っていると今度は屋根が最初にあってその後に壁や床が作られたんじゃないかという錯覚が生まれてくる。個人的に一番のなぞは柱の間につくられたコンクリートの壁。なぜそうなったのかそれだけでは理解できない、でも全体としては収まっている不思議な存在感だと感じた。

e0055325_414545.jpg


ちなみに倉敷は初めてだったわけだが、美観地区という身も蓋もないネーミングに近代的枠組みを感じ、いかがなものかといぶかしんでしまったが、実際は阿智神社のある小山を中心にかなり面的に保存が利いていて、運河沿いの情緒も観光地のそれとしてすばらしく、また有名なナマコ壁の美しいテクスチャーを堪能し、数時間だけであったが有意義な滞在だった。
e0055325_43975.jpg

[PR]
by shinichi-log | 2013-08-01 04:04 | daily | Comments(2)



日々の何かについて、建築・デザインなど
by shinichi-log
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30 31