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10+1+?
午後から四条で打ち合わせをした後、久々にメディアショップへ。店内レイアウトが変わっていてすっきり。どうやら今年はイベントを増やしていくとの事で、移動力のある店舗レイアウトにとのこと。最後に学生カードぎりぎりで使って最終号になった10+1と印刷が特集だったデザインの現場を購入。。。

10+1が終わるのが残念。確かに最近の特集は魅力薄だったようなきもするけど、建築文化がない状態で、建築批評や都市論を声高に論じる硬派な雑誌として貴重な存在だったのに。今後建築系の書き手の人はどうするんだろうか。しばらくは五十嵐太郎のもと建築雑誌が最もラディカルな建築批評誌として機能していくのだろうけど。

最近ではこのような難しい言葉が、わかりやすくトレンディーに置き換えられ、理論より感覚、主観優位が目立つけれど、もちろんそのことは大事すぎるほど大事だけれど、建築の面白さっていうのはそれだけじゃないでしょうとも言いたい。

人類が育んできた文化的な存在でもあるし、またそれゆえに哲学的にとらえる事も出来る。そうした多様な文化的文脈の中で読む事が出来る建築というものの奥深さに惹かれたりするのだ。建築を巡る言説はそれ自体十分スリリングでエキサイティングなものだ。建築の実体験に時に匹敵しうるインパクトを与えてくれるし、また新しい建築の見方感じ方を提示してくれる。そういう豊かな文化的土壌の存在が私にとっての建築の持つ魅力であり、だからこそ様々に議論し、思考を巡らすことができる。

そういう、建築のつくる言葉の世界に惹かれている人間はまだまだ多くいるはずだ。
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by shinichi-log | 2008-03-31 23:48 | Comments(0)
偽物も本物
最初に・・・すいませんかなり長くなってしまいました。
グダグダの文章なのでよほど暇な時にでも読んでみて下さい。byかわ

最近話題の近代建築の保存運動関係の文章を読んだので少し・・・

その中でオーセンティシティ訳せば〈本物であること〉と言う意味の言葉が問題にされていて、また最近の装飾問題なんかとからんで興味深かった。歴史系の研究室の人はよく知っている問題なのだろうけれど。

オーセンティシティは世界遺産の選定などにも利用され、〈形状、意匠〉〈材料、材質〉〈用途、機能〉〈伝統、技能〉〈位置、立地〉〈言語その他の無形文化〉〈精神、感性〉の項目で評価されるらしい。長い歴史の中で存在し続けてきた文化遺産などは、最初の姿から少なくとも何らかの変化を経ているのであるから、このオリジナルの状態との関係性を考える事は重要だろう。とは言うものの、オリジナリティーとか「本物である」ことの基準の曖昧さは明白で、文章の中でもパラーディオのバシリカが改修された事によって評価されている事などをあげている。

それとは別に、たとえそれがつくられた当時の姿であったとしてももともと「偽物」であったものをどう評価するのかという問題もあると思う。

たとえば神聖ローマ帝国時代のロマネスク建築って言うのは、ドイツ人が必死になって東ローマ帝国の様式を真似して、というかある意味装飾的に取り入れて権威付け(カッコつけ)していた。その中にはかなり間違った形で取り入れられた物もあって、中国の遊園地がミッキーに良く似た着ぐるみを使っていたのとあんまり変わんないレベルで偽物と言えるかもしれないんだけれど、現在から見ればそれはそれで“本物”として評価されているのだからなんだかおもしろい。有名なアーヘンの宮廷礼拝堂にしても、美的価値や象徴作用をこえて、皇帝の権力を表すためにコリント式の柱が採用されている。そうなるとこの柱は、ただ装飾的に使われていて、本来の意義を宿した“本物”とは言いがたい。

おそらくここで評価されているのは、「歴史的な背景」と「時間」という側面によってでしかないと考える事が出来る。そうなるとそこに“本物"であることは必要ないのではという気になる。時代を代表するような背景と、歴史的な資料価値によって遺産化されていく。

この違和感は歴史博物館で、出土した土器なんかを見せられた時に感じる物と似ているかもしれない。古いけど何か?という感じである。ある意味〈時間〉は絶対である。

同様に最近近代建築の保存に関してもそれが保存される理由は、いい建築だからでなく「背景」があるかどうかと、時間が経ったかになってしまう。当然近代建築は時代的にはあまり古くなく、その背景が問われる事になる。その背景が評価できるかどうか。
そうなると世の中のものすべてはその存在する背景を持っているのだから、それが遺産として残されるかどうかは、それを残したいという想いを持つ人がいるかいないかという極めて個人的な感情の話になっていくような気もする。Mくま先生みたいな近代建築に相当なオブセッションを持っている人にとっては貴重な背景でも、他人にはそうでない。それはほんとに個人的だ。
だから、変なミッキーまがいのキャラクターでも、その背景をどっかの著名な教授なんかが認めれば遺産になってしまう。

装飾は偽物で、なんていう議論はまず成り立ってこない。偽物もオーセンティシティーを獲得できるのだから。

その物自体が感動的にすばらしかったりすれば重要というふうになれば、問題はないんだろうけど。科学的客観主義がうみだしたひずみなんだろうか。
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by shinichi-log | 2008-03-31 01:50 | Comments(0)
ドイツポスター
京都国立近代美術館で開催していた「ドイツポスター展」に招待券があったので行ってきた。kitの資料館からも数点出品されていた。

内容は1900年前後の黎明期のものから第一次大戦をへてバウハウスあたりまでのポスターが年代順に整理されて展示されるというもの。最初はグラフィックデザイナーなどいなかったので、職人や画家が制作にあたっていた。そのためその当時のものは絵画風でモチーフも古典的なものがほとんどで、額縁のようなものが描かれていたりしていた。
それが次第に商業的な目的を強めるために、文字、点景、余白の3つの要素に洗練されていく。途中戦争や、特に戦後の混乱期には、洗練とは言いがたいけばけばしいものが出現していたが、流れとしては徐々にポスターとしての表現が確立され、最終的には写真や幾何学的構成、新しいタイポグラフィーの発明による進化が遂げられる。

とはいうものの、歴史的にも地理的にもすっかり整理された展示は、なんだか資料を見せられているようなきがしてくる。結局現代アートがおもしろいのは、評価軸が明確でないのでこちらでいろいろ想像しながら観賞できるところなんだろうなと思う。つまり評価が明確でないからこそ、見る側の価値観をも揺らす事が出来るのではないだろうか。発見性がこちら側にゆだねられている。

興味を持てたのは、当時芸術の中心だったミュンヘンからでなく、ベルリンから新しい動向が生まれでた事。また深い森に覆われた環境の中で培われてきた幻想的でロマン主義的な要素が、19000年あたりのユーゲントシュティールから始まって、その後もモチーフや色使いに生き続けていることを感じる事が出来たこと。あとヤン・チヒョルトの作品。
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by shinichi-log | 2008-03-29 20:28 | Comments(0)
今更と4月から
昨日から、建築関係のネット上のメディアってどうなってるのかなって調べています。
そうしたら今更ながら、面白い事をしている人(特に学生)はたくさんいるという事に気がついてしまった。G86にはじまって、archi-radioA+DeSCとか。ほんと今更だけど東京の人は面白い事考えるのがうまい

現代建築研究会の今後の参考にしたいところです。

で、Rice vol,3は事情により4月に持ち越しになったんだけど、今年の活動をどうするのか。卒業してしまって今のところ時間はあるので、ちゃんとアクション起こしていきたいのだけど。
できれば、学生とか社会人とか関係なくできる何かがいいかなと思っていたり、
今まで通り海外の文献中心にもっと密度あげていくってのも有りだと思ったり。

ということで、一緒に考えてくれる人いないでしょうか??
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by shinichi-log | 2008-03-29 20:04 | Comments(3)
7年越し
一昨日は卒業式でした。
入学してから7年。やっと次のステップに踏み出す事になった。
とはいうものの京都にいるし、まだ大学にもようがあるので、これからもしばらくは付き合いが続くんだろうけど。普通に学食にいるかも。
Y先生がいうには次の区切りは5年らしいです。そうするとちょうど30。5年で何ができるのか、何がしたいのか、どう実行していくのか、この機会に少し落ち着いて考えてみてもいいかも。

M2のみなさんこの一年間本当にお世話になりました。おかげで楽しく1年間を過ごす事ができました。これからもよろしくお願いします。

そしておそらく初めてY研集合写真ができました。

とりあえず報告でした。
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by shinichi-log | 2008-03-27 13:03 | daily | Comments(2)
家が集まる 2
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とりあえず昨日でひとまずプレゼン準備は終了。
後は来週の本番に向けて手直しをしていく。

今回はまず敷地全体の環境をデザインすることから始めた。植栽を含めた提案を求められたいたので、住宅の配置やデザインの前に木をつくって心地よい環境を生み出そうとした。そうして出来た環境は人為的ではあるけれど、自然から出来上がっていること、また今後の発展は人為を離れて進んでいくことなどからかなり自然に近いものと言えるかもしれない。

そして住宅はその環境に合わして配置されていく。木の配置と敷地境界線、方角などがからまって場所性が生まれ、建築もそれぞれの場所との関係を生み出しながら作り出すことが出来た。敷地全体の骨格が木々によって決められているので、建築の形態はあまり問題にならなくなり、将来移り変わってゆくであろう建築の建ち方をも許容する可能性を持ち得たのではないだろうか。

今回のように、建築が自然の環境に対して一歩引いた状態にあるというのは、建築が「うつくしさ」を獲得していけるのではないかと感じている。つまり「謙虚さ」な存在に建築がなりうるという事だろう。建築は周囲の環境なしには成立し得ない。

大言を吐くようで、先ほどからの話で行くとかなり美しくない事を言う事になるかもしれないけれど、ふと隈さんの建築を思い出した。「負ける」をキーワードにして作り出された隈さんの建築はどれも「うつくしい」。それははげしく自己主張しない謙虚な佇まいと言えるだろう。フィルターによって環境とのインターフェイスとなる建築は周囲の環境の存在、また関係性の中にしか存在しない。そして今の時代において「謙虚」であるという事は、逆説的に人目につくように働く。

建築という存在が何か別のものに依存しつつ成り立っている。その謙虚さは弱さでなく、今の時代において「強さ」を生み出す事が出来る気がする。
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by shinichi-log | 2008-03-21 15:15 | Comments(0)
家が集まる 1
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今やってるプロジェクトはまとめて10棟の家をつくるというプログラムなんだけど、この同じような作りの家がたくさん並ぶというのはリアルな話とても難しい。

ニュータウンや同じような建売住宅がならぶ風景に対する違和感。非常に人工的でフラットな感覚。僕らの年代になるとそのような郊外の風景が原風景となっている人も多く、一概に非人間的と結論づけることはできないが。とは言うものの、そのような価値観もかなりねじれた感性のような気がしなくもなく、以前として幾分混沌とした都市や、または集落的なものに憧れてしまう。

では、郊外のような画一的な住宅をコピーペーストで並べていくのではなく、個性的で奇抜なデザインの住宅をを10棟並べると、とたんにその一角はディズニーランドと化してしまう。

結局のところ、画一的であろうとデザインがよかろうと、更地にしたところに同じようなものを10戸もつくるととても強い人工的な世界観が出来上がってしまう。この問題はおそらくデザインだけでは解決できないのだろう。

デザイン以前のもっと根本的な部分で考えていく必要があるように思われる。
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by shinichi-log | 2008-03-18 13:40 | Comments(4)
結婚とか
先週は、実施のプレゼン準備で毎日学校で作業。
これが仕事になればニートにならずにすむんだけれど。。。

昨日は、同期の福永君の結婚式が神戸でありました。12年間つきあった末のゴールインだったらしいです。一生ものですね。本当に。
設計学専攻の人たちがだいぶ集まっていたので同窓会みたいでした。何にも変わらない人、なんかお金持ちっぽくなった人、落ち着いた人、いろいろですが大変は大変だろうけどみんな楽しくがんばっているみたいでした。

ところで昨今巷をにぎわす「かわいい」ブームは、ますますかわいくない方向へ。
かわいいとは何か?って論じること自体が既にかなりマッチョな試みでしかないきがする。さらにはこの前のシンポジウムをもとに書籍化されて出版されてしまうみたい。

いくら取り上げるテーマが今的でも、それを扱うほうはとっても古典的な気がする。。。いっそのこと2ちゃんかmixiかニコ動なんかで議論が盛り上がっていったりする方がよほど楽しいしかわいいと思う。

と同時に思うのは、「かわいい」「きれい」「うつくしい」の違いについて。
「かわいい」は、未熟さや足りなさ、逆に豊かさ(過剰)とかの要素からなっていると思うし、前にも書いたけれどポケモンや妖怪のように一歩間違えば「きもい」に転落してしまうようなものだと思う。

それにたいして「きれい」。これもよく建築を見た時の感想として使われる。緊張感がある、端正なプロポーション、納まりの精度、軽薄の追求など、ミニマルな志向と精度の高さが見える時に「きれい」だと形容される。

では「うつくしい」とはなんだろうか。最近思うのは「うつくしさ」というのは「謙虚」ということなんじゃないかと思う。日本人の美徳ではないけれど、どこか一歩下がった姿勢がデザインにおいて「美しさ」をつくりだすんじゃないかと思う。いくらきれいな人でも、高慢でそれをひけ散らかしている姿は醜いし、心よくない。

そのような「うつくしい」状態の建築をつくれないだろうか。
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by shinichi-log | 2008-03-17 02:30 | daily | Comments(0)
東京カテドラル
先週行われた東京マリアカテドラルでのインスタレーション。
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自然光のもとで見るカテドラルとはまた違った荘厳な雰囲気が立ちこめていた。ミニマムなオルガンの響きと、移り行く色彩が、迫力ある空間に抑揚の効いた効果を生み出していた。光と音という移り行く素材がかぶってきても消えることなく、しっかりと受け止めうる存在感がこの建物にはあるんだと感じた。最近の抽象的で弱さをまとった建築は、現象や単存在の背後にとけ込むことは得意なのかもしれないが、そのようにしっかりと受け止めるというのとは異なっている気がする。力強さの質というものも存在する。

今度は、また昼の光の中のカテドラルを見たくなった。
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by shinichi-log | 2008-03-10 12:59 | Comments(0)
twin tower in tokyo
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都市の中に偶然起きる不思議な現象。

それってすごくアートな気がする。
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by shinichi-log | 2008-03-10 02:01 | daily | Comments(0)



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by shinichi-log
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