カテゴリ:Lecture log( 26 )
TREES Work Sessionの感想
先週末、大学の先輩の谷村さんに招待していただき「宮島口まちづくり国際コンペ」(https://miyajimaguchi.jp/)に向けて広島の若手建築家が中心となって進められているTREES Work Session(http://www.trees-hiroshima.com/)に講評者として参加した。街中のビルのガレージという大変オープンな場での素敵なイベントでした。

宮島口については様々な課題がコンペ要項などにまとめて挙げられているが、当日のプレゼンテーションや実際に宮島口を訪れた感想を元に論点を以下のようにまとめてみた。

・まちづくりの主体はだれか?
・宮島と宮島口の役割分担をどう位置づけるか?
・街の新しい骨格はどうあるべきか?

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(写真:TREES Work Sessionのfacebookから転載)

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by shinichi-log | 2015-06-09 06:05 | Lecture log | Comments(0)
ジャック・ヘルツォーク講演会
2015/3/23に京都工芸繊維大学で行われたジャック・ヘルツォーク氏の講演記録。
録音禁止だったので基本的にその場で文字起こしたものがすべてです。なので確認などとれていません。しかも前半10分ほど抜けていたり、ところどころ内容も曖昧ですが、せっかくなので公開します。
またそもそも翻訳が間違っている可能性もあるので、もし自分が聞いたことと違ったという箇所があればおしらせください。


構造・空間・オーナメントの統合

いまここでスライドに書いてあるもの
カテゴリーそのものは重要ではありませんが、理解を深めるために行っています。
左側にはビルディングタイプ、右側に3つの言葉(Structure/Space/Ornament)

Structure / Space / Ornament(=単なる装飾ということでなく空間全体の表現)

これら同時に連結しながら存在することが重要だと考えている。
建築を作るための道具なのです。

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by shinichi-log | 2015-03-27 16:21 | Lecture log | Comments(0)
備忘録:アフター・アノニマスデザイン
昨日行なわれたアフター・アノニマスデザインで思ったことをつらりつらり。羽鳥さんの逃げ地図からの4つの考察「切実な要求ー一次情報にいかにふれるか」「現象の背後の関係性」「適合的な合理性」「衆愚におちいらない」、その後の水野さんによってしめされたプロダクト→サービス→システムというデザイン領域の変化、およびそれらが批評的にリンクし合うという話は個人的にも非常にしっくりくる話しだった。ここでいうサービス、システムというのは羽鳥さんなどがいうインフラに近い概念だと思うが、戦中戦後国土開発をベースに実施されたきたインフラなるものは道路やダムを中心とする土木的なものだった。そうした基盤のうえに都市が、そして建築がつくられてきたし、ゆえになかなか建築家はインフラへとアプローチできなかった。それらは国家によって管理されており、土木系の技師たちは戦前戦中を通じ、技術者運動等を展開することで徐々に官僚機構の中でその位置づけを深めてきた。一方で建築は、アノニマスな官僚制のなかで振る舞うよりも、個人の有名性に依存し生き残る道を選んだ感はいなめない。多くのクライアントが民間であった建築はそのようなアプローチが可能であったということもできる。
さて、現在ではインフラという概念は土木的なものから、

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by shinichi-log | 2014-02-11 01:13 | Lecture log | Comments(0)
Umaki Campで考えたことメモ
8月もパリの展示の準備に終われ気がつくと9月になってしまったけれど、8月16日に小豆島で行なわれた建築会議のこと。といっても会議の内容そのものではなくて、会議にあたって考えたことを少し記録。

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会議は、大阪を拠点に活動するdot architectsが設計し、施行までをおこなったUMAKI CAMPという建物について60年代から80年代生まれの幅広い世代の建築家が集まって話しをするというもので、世代的な差や活動の幅もありつつも、司会の藤村さんの采配によって非常にエキサイティングなものとなり、大変勉強させていただいた。私自身は家成さんと造形大で半年間授業を担当していたので、毎週末に現場で作業している話しは春から伺っていた。なので、そのプロジェクトの始まりから、地域の人との楽しそうなやり取りを聞くにつけ、この建築がどのようにかの地に存在しているのか、実際にみ、地元の人に話しをきけるのを心待ちにしていた。ただ、まずこのdot architectsをふくむ70年代生まれの関西の建築家の状況について少し考えてみたい。

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by shinichi-log | 2013-09-03 19:21 | Lecture log | Comments(0)
「らしさ」の魅惑と新しい形式
久々の更新。
FB始めたらちょっとしたことはそっとに書いてしまってたので。

飯田善彦氏のレクチャーを聞きに、はじめて草津の立命大のキャンパスを訪れた。飯田さんと言えば正直なところ関西ではあまりなじみの無いように感じるが、現在新京都府立資料館の設計や、龍谷大学の広場のデザインや新校舎の設計に携わるなど関西で活躍されている。で、その京都事務所がradlab.の近所ということもあり、かつ自宅が府立資料館から徒歩5分以内というところに住んでいるという事で、一度お話伺ってみたいと思っていた。特に資料館に関しては建築関係者というよりは一近隣住民として抱いている違和感の正体を直接聞いてみたいと思ったからだ。

さて、少し遅れてしまたので最初の東北のプロジェクトは聞きそびれてしまったのだが、飯田氏も今回の震災に非常に大きな衝撃を受けたとの事だった。(さて、個人的に今回の震災はその甚大な被害という点では衝撃的であったが、その後の状況については、それまで感じていた日本の現実、問題がただただものすごく鮮やかに表面化しただけで特に驚きはしなかったしショックも無かった。むしろやはりそうかという感じだったのだが、これは世代差なのだろうか、それとも個人差なのだろうか?)ともかく、そう言う前置きがあった(らしい)。

豪雪地帯にすむ一人暮らしのおばあさんの住宅は、雪かきという負担を住宅が解決することで暮らし続ける事ができる環境を作り出すというもので非常に優れた提案だと感じた。その結果で来てきた建築は平屋のそして屋根がコの字型のスロープになっているもので側溝の水を屋根にながすことで雪を溶かすという仕組みになっている。そのため独自の建築の形式が与えられているが、それが非常に汎用性の高いものである事が素晴らしい。


また、横浜の分譲住宅のプロジェクトでは、横浜市そして、大学、建設会社、設計が組んで、環境性能を検証するという事業が組み込まれているものであるが、ミソは敷地を販売するのではなく定期借地にすることで、敷地内に十分なオープンスペースを設けている事にあり、かつそのスペースによって家全体で風が生み出され快適な環境が生み出されるという試みがなされている。そうした所有ではなく共有することのよさを認識していく事が重要でないかという話しは非常に納得できる。学生からの質疑で、重要なのは「快適性」をどう定義するのかということだとおっしゃられていたが、まさにここには一つの快適性が、その計画や場所によって生まれた形式性とともに提示されている。


さて、新京都府資料館について。先ほども書いたように近隣住民という立場で非常に気になっていたプロジェクトである。気になっていた点は2点あって、一つは住民説明が殆どないこと。(あくまでもこれは京都府側の問題という事も言えるが、ただそんな事言ってるだけじゃ)京都では新聞くらいには一度載ったんだろうけど、殆ど話題になっていない。おそらくある日突然工事が始まって、きづいたら巨大な建物が出来上がっていて、何これってなりそうで怖い。「発注者の求める範囲で作られているものは、時代の移り変わりの中で無用なものになっていくという」テキストを書かれている飯田氏がこの状況をどう思っているのだろうか。すくなくとも、これは震災後に露呈した公共性の問題に直結するし、建築家が応えるべき領域だと思われる。さきほどの住宅のように、ある一人の個人(の身体性)から出発している場合、そして複数の住み手を想定している場合の語り口が、不特定多数の誰かになったことで消滅し、後に述べるような都市構造や心象風景としての大屋根が持ち出されてくる。

もう一点は、そうしてもちだされた「都市構造や心象風景としての大屋根」が果たして、この北山という場所に固有の建築のあり方なのだろうかという疑問がある。飯田氏のプレゼンによるとこの新資料館は、一見するとたくさんの町家が集まっているかのようだが実は大屋根をイメージしているとのことである。この一見すると京都らしさを上手く取り込んだ奇形の勾配屋根は正解のように見える。しかしながら、敷地は北山という戦後に開発された都市空間であって、その隣に建っているのは磯崎新による90年代の建築、その横には「純粋」な近代建築、さらに安藤忠雄の建築や、今や数は減ってしまったが高松伸の建築など、モダンな都市空間なのであって、けして祇園や中京のような歴史都市京都ではない。植物園ももとは明治以降の博覧会会場だし、周囲の住宅も戦後の良質なモダン建築が多い。そのような場所にあって、京都らしい大屋根というのはクリシェ以外の何ものでもない。もちろん景観条例によって勾配屋根が義務づけられているとはいえ、周囲には優れた回答例も存在している。この京都らしさという事が、ここ北山という地にあっては違和感になっている。京都としう減大都市の多義性をいかに受け止め得るのか。また、少し辛口になってしまうが、京都の歴史的空間構造を平面構成に取り込んでいる、という説明も京都で課題をやった事のある学生であれば一度は持ち込むロジックではないか。しかもここは先に書いたように明治以前は都市ではなかった「洛外」なのであって洛中のロジックがそのまま通用するのかという疑問は残る。こういったロジックはでっち上げなのだからと開き直ったところには、信用を失う建築家という図式が待っている。

ということは直接質問したかったが、新幹線の時間という事で質疑の時間が無くて残念だった。やはり当事者として見る目は少しきつくなるということで、失礼にも色々書いたが今度直接お話しにいきたいと思う。

最後に、飯田氏が横浜で始められたLibrary Cafeの話しをされた。事務所の本と珈琲と抹茶と中国茶というささやかなスペースながら予想以上に多様な広がりをコのスペースが生み出しているというお話だ。もちろん横浜という場所のポテンシャルもあったであろうが、公共にひらくということを自ら体現して実践しておられる姿はとても共感できるものだった。また特に、十日市場の分譲住宅の試みは非常に興味深いものがあって、調査の結果や共有地の活用のされかた(誰がどのように管理しているのかなど気になるところではある)をふくめて今後きちんと発表されていく事を期待したい。

さて、この立命館でのレクチャー、次回はAECOMのオウミ・アキさん。私も全然詳しくはないのだが、この会社はロンドンオリンピックパークのマスタープランなど、建築・設計・コンサルティングを提供する世界でも主要な総合エンジニアリング企業ということで非常に興味深い。12/5、18時からとのことで時間ある人は是非聞きにいかれれると良いのではないだろうか
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by shinichi-log | 2012-11-09 01:25 | Lecture log | Comments(0)
謎、パズル、動的情報
部分だけしか聞けなかったが、昨晩のsocialkitchenでの佐々木敦氏のレクチャーを聞いて。

佐々木氏本人も終了後のツイッターで非常に面白かったと興奮気味に語られていたように、後半にかけて盛り上がっていったのだが、基本的には「日本の思想」から「未知との遭遇」に至り、加納+高橋展のタイトルでもある「パズルと反芻」について語るという内容だった(ようだ。)

日本の思想が、80年代、90年代、00年代はゲーム盤の上での「ゲーム」が「反復」してきた事に対し、テン年代はそのゲーム盤(どれだけわかるを提供できるか)から抜け出さだす事が必要とするのが「未知との遭遇」で語られている事のようだが、キーワードとして「日常」と「なぞ」ということが言及されていた。ここでは主に後者について書いていく。

「なぞ=よく分からないもの」と考える。

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by shinichi-log | 2011-12-19 12:48 | Lecture log | Comments(0)
アイロニストな建築家の自由(メモ)
長坂常さんのレクチャーと行き帰りの電車の中で読んでいた一般意思2.0、13章がおもしろいくらいにつながって読めてしまったので、その事を少しメモ(以下は思いつきのレベルをでない上に、文章も支離滅裂だ。関連付けに根拠もないし、説明も十分でないです。その辺りご了承ください。)

さて、一般意思2.0の中で東博樹はアメリカのプラグマティズムの哲学者ローティによるアイロニスト(アイロニーを実践する人)の定義を紹介している。

「自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類の人物」(ローティ)

これがローティによる定義なのだが、ここでいう偶然性とは「たまたま」という感覚を指している。ゆえにそれは東の記述によると、「あることの普遍性を信じながら、同時にそのものが特殊である事も認める」人ということになる。この「2つの矛盾する主張を同時に信じる」ことに如何に耐えるのか。

さて、これがどのように長坂さんの話しに繋がるのか。話しの中で「これでいいいのだ」という価値観を大切にしたいという長坂さんの言葉があったのだが、これはつまり「これがいい」というカント的な主観に根ざした絶対的な価値観によってモノをつくるのではなく、「これでいい」という態度によって、その事自体は確かだけれども当時にそこに外部としての他者を受け入れることを許容する
という意味において非常にアイロニカルといえるのではないか?
建築家は、引き渡しという時間的な切断を行なわなければならない故に、その時点での完成形を目指して建築をつくる。しかしながら、それはひとつの完成形ではあるものの、同時に他の完成形の姿を許容する建築のあり方。

もう一点、この章の最後に自由について議論が紹介されている。
自由とは、主体の意識的な行為を何事も妨げられないということを意味する。自由を信奉する人の事をリベラルとした上で、ローティはリベラルであるという事を「理念を必要としない、身体的な反応(=無意識)を意味する言葉としてとらえ返し」ていると東は述べている。
長坂さんのスライドもまた自由になりたいということから始まっていた。自由とは何であろうか?自由を獲得するためにはどうすればいいのか。自分の意識を先鋭化させて何ものにもとらわれず自分の表現を突き詰める事が一般的には自由であると考えられているが、長坂さんの場合はそうではない。そのような行為は逆に多様である事、自分以外の何かを受け入れる事の可能性を取り除いてしまっていると考えているようだ。では、自由はどのように獲得されているのか?ここで長坂さんがきわめて限定的な行為「とる」「削る」「切る」「流し込む」によってデザインを行なっている事を思い出したい。単純な行為=操作。それは先の言葉で言うと「身体的な反応=無意識」を呼び起こすためのきっかけではあるまいか。ローティの自由の概念が一般的なものと異なっているのと同様に、長坂さんの自由も、これまで建築家や芸術家が目指してきた自由と実は正反対のものとして構想されているのかもしれない。

この自由を巡る態度は先のアイロニーの議論と繋がってくる。アイロニストである長坂さんは操作の限定性(=何でもできるではない)によって、最大限の自由を建築の中に生み出せるのではないかと信じている、そう考えれなくはないだろうか。。
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by shinichi-log | 2011-12-07 12:23 | Lecture log | Comments(0)
「サステナブルデザイン」とは?
ウルトラファクトリーにて、パーソンズ美術大学のキャメロン・トンキンワイズ氏と、AHFのナサニエルのトークイベント「サステナブルデザイン」とは?に参加

以下、キャメロンがサステナブルデザインにとって重要なポイントとして語った内容を簡単にまとめ。

1、Social Networking
ソーシャルネットワークそれ自体ではなく、コミュニケーションのツールの変化によってコラボレーションの方法が変化。人=human energyを対象にすることが重要になってくる。

2、Amplify hidden Share
世の中の目に見えない"Share"をみつけだし、展開していくという事。近代的な社会システムは"buy=所有する"によってなりたってきた。郊外はまさに、家、車、家電を個人が所有する事によってしか始まらない生活空間。所有という概念を帰る必要があり、その代替がシェア。様々なシェアのプラットフォームがうまれつつある。しかし、そもそもシェアという状況は社会の中に存在している。その見えないシェアを発見して増幅することによって、シェアの役割りが強化されていく。それがデザインにとって重要。

3、Service design
プロダクトだけでなくその先のサービスデザインまでを考える事。design for peopleでなく、desing between people(おそらく)。ある種のサイクルを考えるという事。

非常にわかりやすくまとめられている提案だと思う。注意しておきたいのは、これが主にヨーロッパで見受けられるということ。つまり、日本は日本のサステナブルについて考えないと行けないし、オーストラリアはオーストラリアのそれを見つける必要があるという事だろう。もし、単一のサステナブルを世界中に適応するのだとしたらそれこそ近代と同じ轍を踏むことになる。

最後にもう一点。キャメロンはデザイナーという語が不当に多くを担わされていると考えているようだ。つまり、デザイナーとイノベーターは分けて考える必要がある。イノベーターとは、オリジネーターであって、新しいアイデアを発明する人のことで、アーティストや起業家のようなひとを意味する。それにたいしてデザイナーとは、そのように発見されたアイデアのエッセンスを引き出し、生産のラインに載せる事で生活を豊かにする人間の事をいう。そして、現在ではこの「エッセンスを引き出し」と「生活を豊かにする」の間が変化してきていると言えるのではないだろうか?
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by shinichi-log | 2011-11-29 02:47 | Lecture log | Comments(0)
三分一博志レクチャー/環境をエネルギー場として捉える
建築家三分一博志は、「地球のディテール」というキーワードとともにエコロジー系の建築家として捉えられてると思う。初めて三分一氏の建築を雑誌で見かけたのはMIWAGAWAという木目の美しいコンクリート打ち放しと、型枠を使った建具の建築で、写し取られたもの(型枠)と、写されたもの(コンクリート)ので出来ているこの建築は、その素材の一体感と、また完璧なデイテールが静謐な印象を与えるミニマリズム的美しい建築だった。なので、その後彼三分一氏が勾配屋根の地中に埋まったような環境系の建築を生み出しているのを見て、少し残念に(入らぬお世話だが、あんなに美しい建築をつくれるのだからもったいないという思いから)思いながら、特に強く注目してきた訳ではなかった。そういう経緯もあり、個人的には今日の大学での特別講義の期待度はあまり高くなかったと言っていい。しかし、結果今年一番の充実した特別講義だったのではないだろうか。

Energy Scape
三分一建築のユニークなところは、建築も地球/環境もエネルギー場として統一的に捉える視点だと思う。それは、人も自然も地球の一部というような共存というレベルを超え、それらを別々のものとして捉える事無く、同一の系としてみる事を意味している。統一場理論というものがあるが、そう言う考えに近いのかもしれない。景色というものはエネルギーの景色(Energy Scape)としてつくられているという。ゆえに、三分一にとって建築も、地球も、環境も等価であり、そうであるが故に建築が環境になる、地球になるという思考も可能になるのだ。地域の素材を使い、形態的に溶け込ませていくように建築を消していった隈研吾に対し、三分一氏は、建築もエネルギーの場として環境と同一に考えるという意味で建築が消えていっている印象を受けた。

地球のディテール/建材
このEnergy Scapeという思考法でもって具体的に建築に落とし込んで行くときに、鍵となるのが「地球のディテール」なのだ。「自然環境に導かれている風景や建築は地球の一部となりうる」「全てのディテールは地球に通じている」と三分一氏が言うように、ここでの地球は土や空気、水などの環境総体の事を指す。もちろん空気自体の詳細を扱う事は出来ないのでここでのデイテールは「存在の仕方」というぐらいに取ればいいと思う。そしてこのディテールを適切にあたえることで、あらゆる自然素材(空気、水など)を知的な「建材」として使うことが出来るのだと言う。つまり空気のような環境的な要素を、それ自体が建築を構成するものとして、ガラスや木などと等価に扱うという考えが「建材」という言葉に見て取れる。そして、そのような環境的な要素を「建材化」するために必要とされているのが適切なスケールとディテールなのだ。

とはいえ、そこには絶えず「装置」っぽい建築への契機が落とし穴として残されている。ある種の性能を愚直に追いかけた結果、生真面目さが裏目に出るということも起こって来る。装置的であるものを、きちんと風景としてみせる。そこには別種の建築的な感性というものが必要になってくるのだろう。

都市へ向かう可能性
今回の講義で示されたのは比較的地方の自然豊かな地域での話だったが、犬島のプロジェクトで人のてによる廃墟も過去に膨大なエネルギーが注ぎ込まれた場として捉えたというふうに、都市をEnergyScapeという見方で観るならば、巨大なエネルギーの塊(何百万人という人、車、都市の熱)である大都市においてこそ、三分一建築の可能性が開かれる気がしてならない。現在は建築も車や人と同様かそれ以上にエネルギーを排出する存在であるけれど、そのような都市のエネルギーに適切なディテールを与えて、建材化し、建築に取り込むことで、建築が効率的に都市のエネルギーを消化するように存在するのかもしれない。それは緻密なデザインと、取り組み、そのためのリサーチがそう思わせてくれる。ここに三分一氏の建築の魅力があるのではないだろうか。
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by shinichi-log | 2009-12-03 02:17 | Lecture log | Comments(0)
京都工芸繊維大学デザイン科学専攻修了制作展2009ー下川一哉講演会
デザイン科学専攻修了制作展2009の特別講演会に行ってきました。日経デザイン編集長の下川一哉氏と、エストニア国立大学教授の阿部雅世さんというキラっとひかるセレクションで、実際すごく面白い内容だったので、今回と次回でそれぞれレポートしていきます。

まず下川さんの講演タイトルは「インハウスデザイナーとは」。どちらかというとあまり知られていない企業デザイナーについて、具体的な例を挙げながら、今後のありかた、またデザイン自体の担う役割の変化について。インハウスデザイナーとは、つまり企業のアサインに従ってデザインをする人の事だが、近年では単に次世代モデルのデザインにとどまらない戦略的役割を担うようになって来ているとのこと。

例に挙げられたのが、Panasonicである。昨年NationalがPanasonicに統合され新たな道を進みだした同社のデザインを行うのがパナソニックデザインカンパニー。そのミッションは、「ブランドの価値を高め売り上げを伸ばす」という明快なもの。そのために行われるここの取り組みは形のデザインを超えた戦略性が問われている。それは①新たな価値創造、②海外拠点の整備、③グループを生かしたデザイン戦略。
①では先進性やプレミアムな満足感を生み出すためのデザインが追求される。例としてデジタルカメラのLumixがある。Lumixというのは独自技術の名前であり、その技術をデザインによってかし化させていく事が求められている。(Panasonicというロゴより技術が価値になる。)またカラーリングにおいても家電がインテリアの一部として存在するように、インテリア業界の分析を通じて行われていたりする。②でも単なる情報収集という役割から、マーケティング等と共同したリサーチを行ったり、③はPanasonicという企業の家電から住宅まで扱えるという強みをいかに生かすかという取り組みがなされている。

インハウスデザイナーの強みとして、デザインと技術と経営で起こすイノベーションを学べる事ではないか。この3点がそろって始めてイノベーションをつくり出せる。その現場を学ぶ事が出来る点だろう。そして、企業の持つ高い技術力、先端技術に触れる事が出来るので、ecoやユニバーサルデザインに関する先端的なデザインを行う可能性にも開かれている。

とはいうものの、未だにデザイナー自体の地位の低さ(欧米に比べてという話)が問題にもなっている訳で、如何にデザイン自体、デザイナー自体の価値を企業や社会に伝えていくのかという問いがあり、それに対して下川さんの提案として面白かったのが、知的財産という考え方であった。つまりデザインを装飾として認識してもらうのではなく、知的財産としてきちんとその価値を誰にでも分かるように顕在化すること。これは企業側が行う事もあるだろうけれど、デザイナー自身も意識的にならなければならない問題でもあるだろう。もう一方で、インターネット等のアンケートで一般の人からデザインの価値に関する具体的な数字をあげることで、デザインの必要性を示し、デザインと投資と売り上げの関係を少しでも裏付ける事に繋がっていくのではないかという事であった。

また昨今の gooddesign受賞作をみても顕著なように、デザインが色や形を越え始め、体験や幸福感といった問題をどのようにデザインによって実現するかが問われているのではという下川さんの指摘もおそらく重要で、ますますデザインの評価のされ方が変わっていくと思われる。そうした時にどのような価値基準をもって評価されていくのかをデザイナー自身が意識し、そして社会と共有していく事が求められていくのではないだろうか。
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by shinichi-log | 2009-02-13 10:14 | Lecture log | Comments(0)



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