2008年 02月 05日 ( 1 )
なんのための文化財
気がつくと2月も4日がたってしまった。
大学もテスト期間にはいり、たまっていた宿題やレポート、課題などを2日に一つペースでつぶしていく。昨日も徹夜で詳細図面をかく課題をしていた。全体的なコンセプトやデザイン意図を最終的に表現できるかが、いかに小さなディテールの操作で決まってくるのかを、改めて教えられた。実際考えて描いてみるのと、図面を見て言うのでは問題点の見え方が全然違ってくる。

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残るは重森三玲についてのレポートなのだが、彼の文化財に対するコメントがよかった。
彼がいうには、観光化によって多くの社寺や文化財が広く公開され、多くの人々が訪れるようになり昔なら観る事ができなかったものに簡単にアクセスできるようになったことはすばらしいことだが、それによる弊害も多々起こってきている。文化財の痛みが激しいとか、ゆっくりと落ち着いて観賞する事ができないなど。
そこで文化財保護の重要性を述べつつも、なんのための文化財であるのかがすっかり置き去りにされている状況に疑問を呈している。
ただ古くて貴重であるからというのでは、現代の人間の豊かさには寄与しておらず、それらをただ観て楽しむというだけでは一方的な消費行動であり駄目である。
文化財を観賞し味わい自らの栄養素とし、そこから新しい現代の文化財を作り出すべきであり、そこにこそ文化財を残していく意義が生まれてくる。古いものであるがそこから何かを引き出し現代へと発展させていく事で、文化財が大切にされるべきである。

三玲は日本庭園の大家ではあるが、きわめて近代的な人間であったように思われる。先の文化財への言及のように、日本各地の庭園を調査し研究したのだが、実作ではふるいものの模倣をさけ独自の創作にこだわり、庭の持つ強い世界観にこだわっていた。三玲が枯山水を好んでいたのもその強い抽象的世界観であり、庭という固有の世界の強度を作り出しやすかったからだ。
このオリジナリティーと庭という純粋領域への思考はまさに彼がモダニズムの人であった事を物語っている。

近年、建築界でも庭(よりひろくランドスケープ)に関する関心が高くなっている。そこで取り上げられる庭は、強く物質的な建築に対して、弱く、はかない存在である事が多いが、三玲の提示する庭は神の作った自然にかわって、自らがあたらしい自然を作り出そうとする非常にエネルギッシュなものであった。
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by shinichi-log | 2008-02-05 05:18 | Comments(0)



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