Lecture Log 1~都市とメディアとファッション
昨晩はmediashopのEvening Lecture vol,2に行ってきた。

テーマは「都市とメディアとファッションと」ということで神戸ファッション美術館の学芸員の百々徹さんが講師をされた。全3回という事で、今回は19世紀のパリについて、ファッションと生理現象という相容れない要素の現れ方の変化をたどりながら、都市の変化、メディアの変化、それによってファッションをめぐる状況がどのように変わっていったかが主なテーマになっていた。

汚物都市パリ
19世紀中頃までパリは未だ中世的都市構造のままで、上下水道は整備されておらず、スラムや貧民街がひしめく、危険で汚い都市であった。汚物は道ばたに捨てられ、死刑や死体解剖が道ばたで行われるという状況で、また屠殺場も都市の中に存在するといった、今では考えられないほど生理的なものにあふれた場所であった。当時の世界の中でもパリの臭さはぴか一だったらしい。こういう話が最初15分くらい続いたため幾分気分が悪くなってしまった。

中世から近代都市へ
それが、19世紀中頃第2帝政期になり、オスマンがパリの大改造を行う。これは、それまでの中世都市から近代都市への一大転換であり、ただ都市の改造にとどまらず都市に住む人間の意識すらも変えてしまった。上下水道の整備や貧民街の排除、ガス灯の整備は今までは危険で不潔であったストリートをブルジョアに解放していくことになる。

私の視覚化
こうして都市が近代化し、そこに大衆という見ず知らずの他人と接する場ができあがると、自分がどう見られているのか、また相手はどういう人間なのかということが重要になって、視覚的な要素が重要になってくる。どういう人間かを外面で判断しなくてはならなくなり、それがひいては、内面と外面が等価に、さらには逆転してしまうというようなことが起こってくる。私という存在が外面の情報と化してしまう。

ファッション誌の誕生
それまではファッションドールという形で、パリのファッションが地方へと伝えられていたのが、1785年に銅版画によるファッション誌が登場する。
このころのファッション誌の目的は、パリの王室などのファッションを地方の上流階級に伝えるためのものであったが、それが19世紀になると都市部でも需要が高まるようになる。つまり雑誌の中の情報と大差無いファッションに身を包んでいるにもかかわらず、メディアの中の私/私の間に微細な差異が作り出されていく。

都市のショーウインドウ化
クリーンで安全になった19世紀後期のパリには、パッサージュ(ストリートのの室内化)、百貨店(室内の都市化)がつくられ、人々がその中をそぞろ歩きするという事が起こってくる。この辺はベンヤミンのパッサージュ論が描く所ではあるが、そのような商業空間に現れたショーウインドウは、欲望の喚起装置として有効に働くだけでなく、ガラスによって、もののテクスチャーや生々しさが失われ、スクリーン上の情報として立ち上がってくる。そうして生々しい生理的なものが消されていく事で、ファッション的価値を高めていく事が出来る。(当時のパリの名所に死体公開所というものがあって、人々はガラス越しに死体をみて楽しんでいたらしい。)

まさに都市の変化、そしてメディアの変化、そしてファッションをめぐる意識の変化が相互に結びつきながら変化している。
―パリ的リアリティとはこれすべて外観にある。われらの眼はジオラマ、パノラマ、ネオラマの眼。軽薄なわれらのまなざしには視覚効果があればそれで十分なのだ―デルフィーヌ・ゲー、1844

都市のインフラ、構造が、人々の意識を変化させ、欲望を生み出しつつ、メディアや都市に還元されつつさらに変化していくということを思わされる。
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by shinichi-log | 2008-05-28 12:12 | Lecture log | Comments(1)
Commented by tuyu at 2008-05-29 16:47 x
おもしろい!!
ぜひ生で聴きたかったです
次回はきっと!

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