今月はすっかり投稿が減ってしまった。。。
突然だけど大きい家と大きい部屋について。 狭小住宅もブームはさり、建築家の仕事としてメジャーなところに落ち着いてしまった昨今であるが、大きな家というのはなかなか難しい。なかなか難しいなんていきなりだが、課題で600平米の住宅の設計をした時も、普段とは別のところに問題が生まれてきて困った事を思い出す。 大きな家の場合、狭小住宅と同じように無理やり構成の話に持っていくという事もできるかもしれないが、むしろ一つ一つの部屋が大きくなり、隣の部屋とのつながりが希薄になっていくと、もう構成とか部屋の配列とか言う問題が重要でなくなり、もっと空間にとって本質的な事が現れてくるのではないだろうか。つまり空間の質(素材とか光のあり方とか、音、熱)がいかに現れているのかということになるだろう。 また、延べ面積が小さいと必要諸室をあてはめるとそれだけできちきちになってしまい、すべてが何かのための空間であるようなものになる。のに対して大きな家だと、余裕というものが機能性や合理性では割り切れない不思議な空間(象徴性とも謎ともいえるのかもしれない)を生み出しうる事が有るのかもしれない。篠原一男が大きな家にたいして語った事でもあるかもしれないが。 ここで大きな部屋という事を考えてみる。これは決して広くない延べ面積のなかで、できるだけ空間的な広がりを作り出そうとするよく使われる手法だ。これも狭小住宅の解き方の問題系の一つではあるが、大きな家と同じような問題も含んでいる、もしくは大きな家の問題系を持ち込もうとする事なのかもしれない。つまり通常は狭い容積の中にどのようにひつような部屋を入れ込むのかという所が重要視されるのに対して、大きな部屋は、「空間の質」自体を表現しようという事につながるのかもしれない。 これは最近の流れでもあるのだろうけれど、sanaaの作り出す建築に良く現れているような気がする。彼らの建築はどこかでまだプログラム論的な諸室の構成という主題が見え隠れするが、直島のターミナル、Newmuseum、トレドのガラスセンター(実際的ワンルームでないが)、ローザンヌのラーニングセンター、自由曲線でできた最近の住宅プロジェクトなどで、この大きな部屋の考えが適用されているように感じる。そこでも、なんらかの空間構成というよりは空間としての質が重要視されている。 だんだん当たり前の話になってきたけれど、ようは大きな家における問題(空間の質)と、大きな部屋という問題がつながっているんじゃないかという事を思った次第である。
by shinichi-log
| 2008-02-19 21:34
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