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形式、素材、抽象
千葉学の展覧会のタイトル「そこにしかない形式」。形式というある種抽象化された概念にたいして、「そこにしかない」という一回性がつけられている逆説的な言い回しだ。逆の意味をかんがえるなら「どこにも無い具体」だろうか。シュールなアートの世界を連想してしまいそうだし、むしろ「痕跡」という概念の方が近いのかもいれない。

では、「そこにしかない形式」によって導かれるのは、周囲の環境(場所性、建物の性格など)から与えられる抽象。つまり環境からその都度ごとに発見される形のルールのことだろう。そこにしかない形式という抽象性を発見して、作動させることで、場所性を獲得していると考えられる。

これは、建築の場所性と、近代建築の持つ抽象性というものをどう調停していくのかということに対する一つの解答として読むことが出来る。環境から読み取った抽象性を走らせて、場所性を表現する。抽象から場所性へ拡張。

それに対して別方向のアプローチを行っているのが隈研吾だろう。彼はその場所性の表現として、その土地のアイデンティティーとなるような素材を利用する。その土地で昔から使われ、風景の一部となってきた素材を用いるのだから、よほどのことが無い限り、その場所性を表現しているはずだ。そして、隈はその素材をきわめて抽象的に表現する。ディテールや、素材そのものの加工によって。つまり、構成の方法や、素材の見せ方や、ディテールの納め方は、限りなく抽象性を志向している。

アプローチ(方法と順序)は違えども、この二人が最終的に目指してるのは、場所性と抽象性をどう調停するかなのだろうと思う。けれど、個人的な感想、感じをいうと、隈のマテリアル、テクスチャーを抽象的に表現していく方が、より強く空間が感覚に訴えかけてくるように感じる。
いくらその環境から抽出したとはいえ「形式」化するときの知的な操作が、感受性の精度を鈍らせるのかもしれない。

いかに具象的な物を抽象もしくは現象的に扱えるのかというところに、単なる面白さではない感覚に訴えるよさを表現できるのかがかかっているのだろうか。
by shinichi-log | 2007-01-13 23:17
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