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既視感の先に - 安保法案の採決について
街中では安部やめろ、戦争法案反対のデモ行進。
テレビでは既視感でしかない強行採決。

確かに今日の採決のやりかたは(毎度のコトながら)許しがたいものだった。
だがしかし、どうしてもデモに熱く加わろうというふうに思えない。
思えないというか、思わないということを許容しようとしない空気にたいしてどうしても距離を取りたくなる。

「デモ」は民主主義の非常に重要な表現行為だと思う。
それゆえそれは権力によって妨害、制御されるべきものでもない。
警察のコントロール下でなければ、許可を取らなければできないようなものでは違うはずだ。
それはもっとナチュラルなものでよいと考える。

けれども、デモそのものが現実の仕組みを変えうるものかというとそれは違う。
デモは表現行為であるのだからそれが変えうるのはいわば「空気」だ。
そして、当然ながら世の中の空気を変えることは非常に重要なことだ。
特に日本のように空気を読むことに非常に重きをおく文化であればなおされではないだろうか。
しかし、おそらく私たちが築き上げてきた立憲主義にのっとった民主主義というのは、
そうした空気によって恣意的に政治が、現実が変わらないようにという
かなりめんどくさくて、慎重な仕組みをつくりだしてきたのではないかと思う。

たしかにデモが表現する民意は無視してはいけないが、
デモは適切な選挙行為とともにあるべきではないか。
デモに足を運べる人は限られている。
突き詰めれば可能かもしれないが参加のハードルが人によってかなり差が生まれる。

それにたいして選挙はだれもが投票できるような制度を私たちはつくってきた。
だから、デモによって空気を変え、選挙によって現実を、政治を変える。

その上で、選挙に行こう、落選させようだけではダメだということを真剣に考える必要がある。
落選させるにも、代わりにだれかに投票しないことには実現されない。
代わりとなる選択肢がないことをどうすれば解決できるのだろうか。
観点はいろいろあるだろうが、個人的にはその一点につきると思っている。
われわれはいかに参政権の拡大をはかれるのだろうか。
by shinichi-log | 2015-09-18 02:29
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