建築のキュレーションとこれから
先日、東京での公開からは随分と遅れて京都で「だれもしらない建築のはなし」が上映された。
この映画のもとになったベネチア建築ビエンナーレには、関西のリサーチチームとして参加していたものの、映像を見る機会を逃していたのでやっと願いが叶ったという感があった。

プロローグの安藤、伊東といった流れに始まって、大変リズミカルに進行していく語りをまとめる編集のうまさもさることながら、各建築家がとてもオープンに意見を述べているのが印象的だった。伝説化してしまっているP3のような出来事が本人の口から語られることでとても生っぽいものだったことが再確認できる。

映画の中でも大きく取り上げられている磯崎の「キュレーション」的振る舞いに共感と、改めて興味を感じるとともに、現在において建築のキュレーションとはどのようなカタチで実現しうるものなのだろうかとも思わされた(建築展のキュレーションとは別なものとして)。社会と建築家の接点をつくる仕組み。行政と建築家をつなぐコミッショナー、不動産事業におけるプロデューサーという立場だけでなく、建築家と社会のネットワークを生み出すアーキテクチャを構想することに現在的なキュレーションの意義が存在しているのかもしれない。

余談だが、映画の中でもとても印象的で、カタログにも記載されている「ただ、正しい時間にただしい光が差し込むそういった美しさがあった」というレムの発言には、どこかフェルメールの絵画に描かれる室内について述べているような趣もあり、オランダ人としてのレムの美意識が感じられて興味深かった。日本人もフェルメールが大好きだ。
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by shinichi-log | 2015-09-07 13:10 | Comments(0)
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