TREES Work Sessionの感想
先週末、大学の先輩の谷村さんに招待していただき「宮島口まちづくり国際コンペ」(https://miyajimaguchi.jp/)に向けて広島の若手建築家が中心となって進められているTREES Work Session(http://www.trees-hiroshima.com/)に講評者として参加した。街中のビルのガレージという大変オープンな場での素敵なイベントでした。

宮島口については様々な課題がコンペ要項などにまとめて挙げられているが、当日のプレゼンテーションや実際に宮島口を訪れた感想を元に論点を以下のようにまとめてみた。

・まちづくりの主体はだれか?
・宮島と宮島口の役割分担をどう位置づけるか?
・街の新しい骨格はどうあるべきか?

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(写真:TREES Work Sessionのfacebookから転載)



まず、まちづくりの主体はだれかという点について。
 まちづくりという場合に、何を、どうするのか、ということと同じように、誰が実施するのか、誰のために行うのか、ということが重要になる。そうでなければ結局誰のためでもない、人任せの、お役所的な仕事の結果、なんとなくお洒落な、でも交換可能な、消費期限付きの町が生まれてしまう。そこには主体性がなく、それゆえ時間の経過とともにただ古びていくだけだ。まちづくりは時間の中で行われる。そして、その時間はだれによって作られた時間であるか。そのまちづくりに関わる主体が明確になってこそ、はじめて実施可能なまちづくりの姿が想像できる。では、宮島口のまちづくりの主体はだれか?

 まず想定されているのは観光客だ。コンペ要項にも年間400万人ほどが訪れる宮島への観光客による様々な効果(主に経済的な)が期待されている。しかしまちづくりの主役に観光客を設定することは果たして可能なのだろうか。彼らは街を使う、消費するかもしれないが、つくる主体とは程遠いのではないか。その点、谷村案には、観光客からファンへ、そして当事者へという段階的な関わり方が設定されており、たとえば外国人観光客に町の使い方のお手本になってもらえればというアイデアはとても興味深かった。少しずつ観光の形も変わってきており、全体の0.1%でもが町に貢献することのできる関係づくりができればその効果は大きい。

 次に地域住民こそまちづくりの主役だという考えが浮かぶ。その町で暮らす人が町をつくる。この至極当然の状況こそもっとも宮島口では難しい課題となっているのかもしれない。実際海と駅の間にはさまれたわずか数百メートルの土地に暮らす人はほとんどいない。週末やシーズンに大渋滞を引き起こし、観光客で溢れかえることで地元の人は逆に近づかないのだという。駅の裏側の山手の方には住宅地が広がっているが、駅周辺の利用は少ない。またこの宮島口エリアは陸側に位置しているものの、銀行などの施設は宮島の住人向けとして存在しており、実は利用者と住人が微妙にスライドしている。
 
さらに広島市をふくむ周辺市町村の住人を主体として、宮島口のまちづくりを考えるという姿もいくつか示されていた。たとえば周辺地域の人も利用する工房やマルシェの実施場所、教育施設など。同じくゲストの古谷さんは、自身の経験もまじえ、広島市などの周辺住民にとってのエンターテイメントの要素が重要ではないかとおっしゃっていた。また広島市では得難い海辺のリクリエーションの場として活用するということが挙げられよう。
 
このように、まちづくりは誰が行うかによって課題も、そして実施可能な施作も変わってくる。町の施設はともかく、町そのものは決して一朝一夕の再開発でうまくいくものではないという視点に立って、ステークホルダー毎の細やかな見極めが重要になってくるだろう。


二つ目の宮島と宮島口の関係について。
 まずもって宮島口は、宮島へのゲートのような役割であり、そもそも過剰な演出や期待は必要ないのではないかという考えもあってしかるべきだろう。宮島口が記憶に残らないというのは、逆に宮島の記憶だけ残っているということなのだから、観光地としては問題ないのではなかろうかと考えてしまう。
宮島口から10分ほどの船旅ですっかり気分が高まり、宮島にたどり着くとそこはまぎれもないザ・観光地だ。お土産やさんも食べ物屋もいろいろ揃っている。宮島口に現在もお土産やさんはあるが、なぜあるのかと不思議に思うほどだ。宮島口を観光地として盛り上げるというのであれば、宮島そのものと勝負することになるが、それはかなり勝ち目のない戦いだと言わざるを得ないだろう。むしろ、宮島にはないもの時間や価値を宮島口が提示できるかにかかっている。
 
そういう意味で宮島口の夜に注目した提案には可能性が感じられた。厳島神社の閉まるころには宮島のお店は閉まってしまうので、その後ゆっくり食事をしたり飲んだりする場所が意外と少ないのだという。そこで宮島から戻った後に、海越しに宮島を眺めながらゆっくりと食事をできるような場所があれば宮島口にしばし止まる人も増えることだろう。また、割り切って宮島口はフェリー乗り場としての役割、玄関としてのインターフェースを強化するという提案も複数だされていた。玄関口という性質にふさわしい高揚感のある乗り継ぎの場に形を与えることも重要なデザイナーの役割だろう。


3つ目は、宮島口の町の骨格をどうするかという点だ。
 まずもって骨格とは道路なわけだが、JRの駅とフェリー乗り場までの間にある国道2号線は、この周辺の課題の核になっている。この道路を地下化するか、駅の北側を迂回さすか、もしくは人の移動経路によって考えるかは考えの分かれるところだったように思われる。またシーズンに発生する交通渋滞に対応するために、迂回する県道と駐車場のサーキュレーションを工夫する、そして広大な駐車場は立体化するのか、地下化するのかといった点が議論としてあらわれていた。
 
そのほか、網目上の街路を低層の住宅地に作り出すものや、運河を駅前まで引き込むものなど様々な検討が行われていた。円形のペデストリアンデッキが大きく町の構造を描きなおすという提案もだされていた。そうした大きく町の構造を変えてしまうような提案は、発想としては素晴らしいが、現実の町の状況や今後の発展を考慮した時の強度をどれほど持ち得ているのか疑問が残った。現実的な条件を無視してというよりは、条件をうまく生かしきったデザインを期待したい。宮島から宮島口を望んだ時の町のスカイライン、シルエットをどのようにデザインしていくのかという点も重要になってくるだろう。



以上が、宮島口を考える上でのポイントを3つに絞って述べた。全体的にな印象としては、講評時にも述べたが、提案の傾向としていくつかの課題を提示し、それを解決するための要素を3つ程度提示するものと、一つのアイデアで全体に骨格を与えようとするものの2つに、大きく分けることができるように思えた。前者の場合は、この3つの要素の相互のつながり、また全体のヴィジョンが見えにくく、後者の場合はそのアイデアが指し示す町の広がりがどれほどのものなのかが気になった。全体と部分の関係がともに示され、相互に案を強めあうことが求むべき状態であろう。


最後に、今回の宮島口のコンペについては、それがアイデアコンペであり、実際の提案につながる保証は何もない、しかもアイデアの使用権はすべて主催者側にというようなあまり品のよくないものだと言えるかもしれない。しかしながらそのようなことは承知の上で、今回の機会を若手の建築家、実際は建築家以外の人も大勢参加して、町の将来について議論しあう場を作り上げたこのワークセッションの取り組みにいたく感激を覚えた。枠組みの批判に終始せずに、あえてポジティブにのっかかる。コンペのリノベーションとも呼べるワークセッションの場に参加させてもらい、大変勉強させてもらうとともに、多くの刺激をいただきました。関係者のみなさまほんとうにありがとうございました。コンペ提出までまだ少しありますが最後まで頑張って欲しいと思います。
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by shinichi-log | 2015-06-09 06:05 | Lecture log | Comments(0)
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