敷地を構築する
建築を生み出すために重要なことが2つあるとする。
一つは言うまでもなく様々な状況や条件から方法、素材を選び出し、一つの建物を構築すること。そして、もう一つはその建物が建てられる場所を、「敷地」として構築すること。それは単に場所を選ぶということだけではなく、均質な空間の中に様々な意味を見いだすことではないか。この敷地を構築することと、そこに建築を構築することは、通常の設計活動のなかで分ちがたいものとして存在している。そんな敷地の構築という部分が異様に肥大化してしまったがゆえに生み出されたような展覧会を先日みた。
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展覧会「建築未満」は、建築学科を卒業した作家が、河原やアンティーク屋で発見した器や瓶などに、小屋や家具のミニチュアを配置した、立体的なコラージュ作品を展示したものだ。作家自身が語っているように、それらは子どもの頃に読んでいた絵本の中に描かれていた世界に思いを馳せつつ、独自に構想されている。そこには宮崎駿の世界さながら、今にも物語が動き出しそうな情景が存在し、だれでもその世界の中に入り込んでしまいたくなるだろう。

そのような空想上のものであるということで、これが建築「未満」だとは思わないのだけれど、通常の建築の展覧会であれば重視されるであろう「建物」が、どれも記号のような表現にとどまっている一方で、その建物が配置される背景になっている「敷地」はどれも構築的といっていいほどオリジナリティがある。とはいえ、記号的な家や家具がよくないというのではなく、それによって「敷地」をつくりだすための適切なスケール感がつくりだされており、その設定の妙もふくめて素晴らしい作品だと思う。

とはいえ、家や家具の表現はありきたりなものであるが、「敷地」は非常に豊かなバリエーションをもっている。しかも単にカタチの面白さや、家具の配置の妙に還元されない。ビネガーの瓶をもちいた作品では、瓶のかたちや大きさだけでなく、瓶の内部の湿度やそれによって発生した結露が「敷地」の要素として構想されているし、オリーブオイルで和えたサラダを2つのコップではさみ、それをひっくりかえし、その上に石の重しを置くというものもあった。それは時間の経過と共に、重力によってオリーブオイルがしたたることである風景が形成れている。それは既存の敷地を見方によって新しい世界へと変化させるということ以上に、もっと構築的に敷地が構想されているように思われる。

展示をみていて思い出したのは、石上純也の資生堂ギャラリーで行なわれた展覧会「建築はどこまで小さく、あるいは、どこまで大きくひろがっていくのだろうか?」だ。それはある条件の場合にうまれる環境や、それに応じた建築のカタチが模型で表現されているというものだった。星のカタチがもっといびつだったら重力がこうなって、そうすると建築はこんな風になるとか、海にあけられた穴のような敷地だったらとかいうふうに、ものすごく突拍子のない条件でうまれる世界とそこに建築が成り立つ可能性が科学的なアプローチで構想されていた。敷地の構築への想像力を最大化させることで、新しい建築の世界を生み出している、そんなかんじだ。石上展にあって、建築未満にないものは、「敷地」の構築後の「建築」の構築することの有無だったのかもしれない


最後にもしこれらが「建築未満」としてあるのだとしたら、この先にいつどのように建築が実現されるのだろうか。
それはこの小さな敷地の中に配置されている建物が1/1のものとして実現する時ではないだろう。よくも悪くもそれは建築未満のままでありつづけるにちがいない。
石上さんのように建物の構築性が付与された時だろうか。それも一つの可能性としてあると思う。でもむしろ、家具や家といった記号として挿入されているものたちが消え去り、余白の構築物としての「敷地」の強度がどこまでも高まり、そのまま建物なんて必要ないというところまで突き抜けた時に、何か「建築」だといえるものが生まれるような気がした。
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by shinichi-log | 2014-04-15 11:39 | review | Comments(0)
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