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「らしさ」の魅惑と新しい形式
久々の更新。
FB始めたらちょっとしたことはそっとに書いてしまってたので。

飯田善彦氏のレクチャーを聞きに、はじめて草津の立命大のキャンパスを訪れた。飯田さんと言えば正直なところ関西ではあまりなじみの無いように感じるが、現在新京都府立資料館の設計や、龍谷大学の広場のデザインや新校舎の設計に携わるなど関西で活躍されている。で、その京都事務所がradlab.の近所ということもあり、かつ自宅が府立資料館から徒歩5分以内というところに住んでいるという事で、一度お話伺ってみたいと思っていた。特に資料館に関しては建築関係者というよりは一近隣住民として抱いている違和感の正体を直接聞いてみたいと思ったからだ。

さて、少し遅れてしまたので最初の東北のプロジェクトは聞きそびれてしまったのだが、飯田氏も今回の震災に非常に大きな衝撃を受けたとの事だった。(さて、個人的に今回の震災はその甚大な被害という点では衝撃的であったが、その後の状況については、それまで感じていた日本の現実、問題がただただものすごく鮮やかに表面化しただけで特に驚きはしなかったしショックも無かった。むしろやはりそうかという感じだったのだが、これは世代差なのだろうか、それとも個人差なのだろうか?)ともかく、そう言う前置きがあった(らしい)。

豪雪地帯にすむ一人暮らしのおばあさんの住宅は、雪かきという負担を住宅が解決することで暮らし続ける事ができる環境を作り出すというもので非常に優れた提案だと感じた。その結果で来てきた建築は平屋のそして屋根がコの字型のスロープになっているもので側溝の水を屋根にながすことで雪を溶かすという仕組みになっている。そのため独自の建築の形式が与えられているが、それが非常に汎用性の高いものである事が素晴らしい。


また、横浜の分譲住宅のプロジェクトでは、横浜市そして、大学、建設会社、設計が組んで、環境性能を検証するという事業が組み込まれているものであるが、ミソは敷地を販売するのではなく定期借地にすることで、敷地内に十分なオープンスペースを設けている事にあり、かつそのスペースによって家全体で風が生み出され快適な環境が生み出されるという試みがなされている。そうした所有ではなく共有することのよさを認識していく事が重要でないかという話しは非常に納得できる。学生からの質疑で、重要なのは「快適性」をどう定義するのかということだとおっしゃられていたが、まさにここには一つの快適性が、その計画や場所によって生まれた形式性とともに提示されている。


さて、新京都府資料館について。先ほども書いたように近隣住民という立場で非常に気になっていたプロジェクトである。気になっていた点は2点あって、一つは住民説明が殆どないこと。(あくまでもこれは京都府側の問題という事も言えるが、ただそんな事言ってるだけじゃ)京都では新聞くらいには一度載ったんだろうけど、殆ど話題になっていない。おそらくある日突然工事が始まって、きづいたら巨大な建物が出来上がっていて、何これってなりそうで怖い。「発注者の求める範囲で作られているものは、時代の移り変わりの中で無用なものになっていくという」テキストを書かれている飯田氏がこの状況をどう思っているのだろうか。すくなくとも、これは震災後に露呈した公共性の問題に直結するし、建築家が応えるべき領域だと思われる。さきほどの住宅のように、ある一人の個人(の身体性)から出発している場合、そして複数の住み手を想定している場合の語り口が、不特定多数の誰かになったことで消滅し、後に述べるような都市構造や心象風景としての大屋根が持ち出されてくる。

もう一点は、そうしてもちだされた「都市構造や心象風景としての大屋根」が果たして、この北山という場所に固有の建築のあり方なのだろうかという疑問がある。飯田氏のプレゼンによるとこの新資料館は、一見するとたくさんの町家が集まっているかのようだが実は大屋根をイメージしているとのことである。この一見すると京都らしさを上手く取り込んだ奇形の勾配屋根は正解のように見える。しかしながら、敷地は北山という戦後に開発された都市空間であって、その隣に建っているのは磯崎新による90年代の建築、その横には「純粋」な近代建築、さらに安藤忠雄の建築や、今や数は減ってしまったが高松伸の建築など、モダンな都市空間なのであって、けして祇園や中京のような歴史都市京都ではない。植物園ももとは明治以降の博覧会会場だし、周囲の住宅も戦後の良質なモダン建築が多い。そのような場所にあって、京都らしい大屋根というのはクリシェ以外の何ものでもない。もちろん景観条例によって勾配屋根が義務づけられているとはいえ、周囲には優れた回答例も存在している。この京都らしさという事が、ここ北山という地にあっては違和感になっている。京都としう減大都市の多義性をいかに受け止め得るのか。また、少し辛口になってしまうが、京都の歴史的空間構造を平面構成に取り込んでいる、という説明も京都で課題をやった事のある学生であれば一度は持ち込むロジックではないか。しかもここは先に書いたように明治以前は都市ではなかった「洛外」なのであって洛中のロジックがそのまま通用するのかという疑問は残る。こういったロジックはでっち上げなのだからと開き直ったところには、信用を失う建築家という図式が待っている。

ということは直接質問したかったが、新幹線の時間という事で質疑の時間が無くて残念だった。やはり当事者として見る目は少しきつくなるということで、失礼にも色々書いたが今度直接お話しにいきたいと思う。

最後に、飯田氏が横浜で始められたLibrary Cafeの話しをされた。事務所の本と珈琲と抹茶と中国茶というささやかなスペースながら予想以上に多様な広がりをコのスペースが生み出しているというお話だ。もちろん横浜という場所のポテンシャルもあったであろうが、公共にひらくということを自ら体現して実践しておられる姿はとても共感できるものだった。また特に、十日市場の分譲住宅の試みは非常に興味深いものがあって、調査の結果や共有地の活用のされかた(誰がどのように管理しているのかなど気になるところではある)をふくめて今後きちんと発表されていく事を期待したい。

さて、この立命館でのレクチャー、次回はAECOMのオウミ・アキさん。私も全然詳しくはないのだが、この会社はロンドンオリンピックパークのマスタープランなど、建築・設計・コンサルティングを提供する世界でも主要な総合エンジニアリング企業ということで非常に興味深い。12/5、18時からとのことで時間ある人は是非聞きにいかれれると良いのではないだろうか
by shinichi-log | 2012-11-09 01:25 | Lecture log
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