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403 architecture dajiba - 地方都市のブリコラージュ
新建築2月号にて403architecture dajiba(以下403dajiba)がこれまで浜松で関わってきた作品が掲載されている。403 architecture dajibaは、彌田徹+辻琢磨+橋本健史の3人からなる設計事務所で2011年から浜松を拠点に活動している。彼らは横浜国立大学YGSAに在籍していた時から403 architectureという団体を他2名のメンバーと共に結成し、大学での学びを自分たちの身の回りの都市空間へと落とし込む実践をインスタレーションや展示設計などを通して行なってきた。通常であれば、そのまま学生時代に築いた横浜や東京でのネットワークを生かして活動を展開するところ、浜松という地方都市を戦略的に選択することで、今の時代にアクチュアルな「建築(家)と都市」のスキームを見いだそうとしている。




建築(家)と都市。ポストバブル以降も、東京を中心とする大都市では引き続き大規模開発が相次ぎ、都市の様相は大きく変化し続けてきた。一方で、郊外の都市風景や大型ショッピングセンターで実装される工学的な空間デザインが注目されてきた。いうならば、郊外も含む都市は、資本と投機の流れ、そしてマーケティングや標準仕様という枠組みによって半ば自動的に作り上げられる。磯崎新が「計画」から「投機」へと述べたように、なにか実体のない力によって動く巨大な機構へと都市は変化していった。そのような状況にたいしアトリエ系建築家が批評性をもった提案を行なうことも、大手の組織設計事務所やゼネコンが主導的立場に立つということも無く、都市からの撤退が、都市そのものの忘却へと進んでいったかのようでもあった。



危機の最中の表現
そこで、403 dajibaは地方都市というあるスケールをもった場(地域)を設定する。東京のようなメガシティの全体を把握することはもはや人間の情報処理のキャパシティを越えてしまった。都市はそれを作りだした存在を超越してしまう。それは浜松などの地方都市も、程度の差こそあれ同様ではあるが、都市構造が比較的はっきりとしていてる事に加え、すでにそこには多くの課題がひずみとして現前しており、そこを建築家が都市へと介入する「足がかり」として捉える可能性は残されているように思う。少子高齢化を原因とする人口減少、それにともなう中心市街地の空洞化、産業構造の変化による雇用の流出、厳しい財政状況。また、東京一極集中がもたらす駅前のチェーン店やロードサイド型店舗などは、一時的な雇用を生むものの、吸い上げ効果によって地元へ経済効果は少なく、地方の特色を減少させる方向へと向かってしまう。などなど、都市によって程度の差はあれど眼前に広がるのは輝かしい未来ではなく、今ここにある危機であり、緊急に対処することが求められている。

さて、この新建築と同じ時期に書店にならんでいた『新潮』の2月号には精神病理学者の齋藤環による「”フクシマ”、あるいは被災した時間」という連載の第5回が掲載されている。換喩化のドライブという副題がつけられているこのテキストでは、震災後という緊急時における、危機の最中にあっては「構想があって、準備をして、構築していくというやりかた」ではない「そこにあるものを拾って使う」ことで表現がつくられていく例を紹介している。それは小説から現代アート、また過去の災害にさいしてつくられた表現などにおよび、それらは「災害サブカルチャー」と名付けられているが、それを特徴づける言葉が「ブリコラージュ」だとされている。「現場での応答によって発見され、選択された」というのは403 dajibaの新建築上のテキストからであるが、天井の解体時に発生した廃材を床材として転用する、手に入れた運送用パレットを自ら解体し壁をつくりあげる、偶然現れたテクスチャーを加工して仕上げとして利用する、と行った行為はブリコラージュだといえる。ここには意識的にであるかいなかは分からないが、地方都市という危機的な状況にあって彼らが選択したのが「ブリコラージュ」的な表現手段であったことは興味深い。



ブリコラージュ
いわずもがなではあるが、人類学者レヴィ・ストロースが『野生の思考』のなかで提示したブリコラージュの概念は、「身のまわりにあるありあわせの道具・材料で手作りする」技術を指している。今回新建築に掲載されている「海老塚の段差」を中心に「渥美の床」「三展の格子」「頭蛇寺の壁」は先ほど書いたようにどれも素材の面でやりくりがされていることが特徴的である。彼らが「マテリアルの流動」という言葉によって説明しているように、マテリアルという次元でみると新築も、改築も、解体もフラットに見れるという視点はとても興味深い。パソコンのディスプレー上の表示物がすべてビット数やバイトとして交換可能なものとしてとらえている感覚を、もう一度現実のモノに適応しているかのようである。さてモノとしてのマテリアルを流動させるために必要となるキーは「記号」であるといえないだろうか。「技師が概念を用いて作業を行うのにたいして、ブリコロールは記号を用いる」とは先のレビストロースの言葉であるが、もともと「天井」だったものを「床」に使うなどはものがもっていた意味、つまり「記号」を操作しているとみることができる。彼らの作品名がすべて床、段差、格子、壁などの記号的な言葉であることに注目してみよう。しかもその前につくのは単にそのものが存在する場所の情報でしかなく(まるで流動するマテリアルの位置をプロットしているようだ)そこには性質や作用といった概念はない。また、単にどこかの素材を何かに当てはめるだけでなく、海老塚の段差で顕著なように、建物へのアプローチ上必要とされていた高い基礎を「段差」と読み替えることによって高低差とともに変化のある空間がうみだされ、同時に収納場所の確保という機能面での向上も図られている。ここでは制度や慣習の積極的な読み替え試みられている。また、渥美の床が結果的に緩やかな3次曲面として身体性を獲得しているように、単に概念的な操作に終わっている訳ではなく、そこにはマテリアル、つまりモノが否応無しに抱えている痕跡や質感などによって不気味な存在感がただようウェットな空間が生まれているのではないか。

キュレーターの長谷川祐子は建築は本来「計画的に進めていくエンジニアリングの過程」であるとしたうえで「アートはさまざまな素材を寄せ集め、作家個人の直感や感情を交えながら、試行錯誤の手仕事で進められるブリコラージュ的な過程を経る」( 「建築、アートがつくりだす新しい環境―これからの“感じ” 展」カタログより) と記している。これは、403 dajibaの提案が地方都市の現状にたいする社会性を強く感じさせる一方、表現方法のブリコラージュ性によって「アート」的な表現に見えてしまうことの説明になっているのではないか。一般的にこれまで社会性という文脈で思い描かれていたのは、工業化によって安価で質の高い住宅を提供するための技術とデザインの融合を如何に行なうかであったため、その表現はある意味もっとも「ブリコラージュ的」でない。「ブリコロールは多種多様の仕事をやることができる。しかしながらエンジニアとはちがって、仕事の一つ一つについてその計画に即して考案され購入された材料や器具がなければ手が下せぬというようなことはない。彼の使う資材の世界は閉じている。そして「もちあわせ」、すなわちそのときそのとき限られた道具と材料の集合で何とかするというのがゲームの規則である。」とレヴィ・ストロースが書いているように、計画性を基礎に置いたエンジニアリングは、ブリコラージュの対局に位置している。ここで403が、非計画的でまったくエンジニアリングを無視しようとしているというのではなく、現代的な意味において捉えるのであれば、資材管理と3次元スキャン/コピーなどのエンジニアリングの質自体が変化してきているのだと捉えるべきだと考えるべきだろう。つまり、同一規格で大量に作ることと現に存在するそのものを加工するコストと仕組みが変化してきている。なので、ここで言いたいのは、そのような「アート」的であることは単に「特殊」な解であることを意味しているのではなく、その都度性をもった「個別」であると捉える必要がある。つまりすべてに適用可能な「普遍」であることを放棄することで、無数にある「個別」へむけたアプローチの可能性を感じさせる。



浜松という身の回り
ブリコラージュについて「身のまわりにあるありあわせの道具・材料で手作りする」と説明したが、ここではありあわせを上手く使いこなす想像力とともに、「身の回り」というスケールをどう設定するのかという問題を考えてみたい。レヴィ・ストロースは「彼(ブリコロール)の使う資材の世界は閉じている」と書いているが、世界が閉じていないことにはどこまでも別の可能性を探し続けなければならなくなる(とはいえ現在では設定の方法さえ適切であれば世界中が身の回りとなってしまうのだが。)この点において403 dajibaは、浜松という地方都市をその「身のまわり」として設定しているようである(今のところ)。その上で、単に物質だけでなく地域の中で活動する人や場所も必要に応じて利用可能なマテリアルだとみなすことで、驚く程多様なマテリアルが設計という場に提供され、それによって建築が考えることの範囲が再設定されている。メンバーの辻が筑波大学貝島研の吉岡優一と共に主宰しているuntenoir(http://www.untenor.com/jp-top.html)はこれまで浜松を対象とした数回のリサーチプロジェクトを行なっているが、そこでも都市を構成しているマテリアルの発掘と理解に主眼が置かれている。例えば、市井の建築物に使用されている建材について調査したり、人を起点とした繋がりによるクリエイティブセンターの有り様を構想したりといったふうに。これら複層化した活動によって浜松の資材集合が可視化されている。

また、ブリコラージュ的な態度によって、403 dajibaの建築は「地方色」というようなわかりやすいイメージを纏うことなく、その地域と接続することができている。「それらの多くがn次創作であるという意味では、メタレベルは常に存在する。しかし制作手順がブリコラージュ的であることは、そこに制作全体を統御する超越的視点がかけていることを意味する」と齋藤環は先の文章の中で述べてるが、例えば403 dajibaの作品もマテリアルが読み替えられることで作品が作られ、そこには都市(浜松)という建築の上位概念は存在しているが、そこに象徴的な都市の姿(地方色)が目指されることはない。ユートピアを描くこと無しに、都市を描くことが試みられているのではないか。ポストモダンや近年の景観条例がつくりだすのは、そうした地方色という理想像を設定し、その似姿を時に過剰に、多くは劣化コピーとして作り出しているだけにすぎない。それにたいして「マテリアルの流動」という超越的な視点を持たず都市を設定している彼らの活動は、大変興味深い。、わかりやすい「地方色」を建築の表現に用いることは、人々に安心感や帰属意識を与えることができる反面、キッチュに陥ることで非常に表面的な都市風景を作り出してしまう危険性もはらんでいる。浜松という地方都市を活動のフィールドとしつつも、「マテリアルの流動」という視点に立ったブリコラージュ的なアプローチが、地方色=象徴化とは異なる回路で、浜松という地方都市を表現として組み込むことに成功している。



まとめとして、「読み替え」の「連鎖」
リノベーションもその既存の空間を敷地と積極的に「読み替える」ことで、新築と特に意識を分けることなく考えることができる、という言説が00年代に若手建築家のインテリアという領域への認識としてしばしみうけられた。先に記したように00年代の中盤は日本でも比較的景気が良く商業施設=インテリアが建築家にとって大事な活躍の場として存在していたと考えられるが、リーマンショック以降そのようなトレンドは変化しているのではないか。その向かう先の一つとして、様々な問題がむきだしになっている地方都市が。なぜか。 「すべてはコンテクストなのだ。」と述べているように、そのとき403 dajibaはこの「読み替え」可能な領域を「慣習や都市構造」にまで拡大していこうとしている。そしてそのために必要になってくる戦略が、人もモノも情報もマテリアルとして捉える視点なのだろう。そうしてマテリアルとして捉えられたものは、柱とか床材といったように記号的にではなく、その個別的な有用性によってとらえていく。「ブリコロールの用いる資材集合は、単に資材性(潜在的有用性)のみによって定義される」とレヴィ・ストロースが述べているように、その資材性( 潜在的有用性)が「積極的な読み替え」によって最適化させられるのだ。そうして最適化されたマテリアルの連鎖的な反応によって建築や都市が作られていくが、それは当然のことながら近代科学がうみだした都市計画や機能主義のように、ある構造をから出来事を生み出そうとするベクトルではなく、個別の出来事を用いて全体の構造を形づくっていくことになる。個別の出来事が連鎖することで構造の暫時的なアップグレードが行なわれていく。そのとき、建築家は都市に対して同時多発的「な」アクションをおこしていくのではなく、403 dajibaが示しているように同時多発的「に」アクション「していく」ことが求められるのだろう。全体を統制する全能の建築家であることよりも、みずから積極的にその連鎖の中に入り込むことで、人や出来事を含むマテリアルは全て設計における「他者」(コンテクスト)として扱われる。そしてこの「他者」として出会う人や出来事のことこそを「社会」と呼ぶことができないだろうか。「建築家は社会にいかに接続するのか」と常に外側から社会を眺めているのではなく、この連鎖の中でみいだされた「他者」を 「如何につくることとして扱えるか」が、建築が社会に開くのかということに繋がっていく。そしてその時、「建築」ははたしてどのようなものとして建ち上がってくるのか。 403 dajibaの今後に期待したい。
by shinichi-log | 2012-03-30 18:00
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