再訪といっても、もう何十と足を運んでいる建築。けれども今日は改めていっこの建築の魅力を再認識したという意味で再訪というべきものだった。それはおそらく外国人のアテンドという役目で、それゆえ他人の目を通してということも理由としてあるのだろう。
ということで、今日気付いた事をメモしておきたい。 ・まず、立て替えが問題となっている第一ホール。現在のホールの台形の屋根ボリュームは中庭から見ると三角形に見え、そこから日本的な特徴をもつ庇のデザインとあいまって、日本のお寺の大屋根のように見えてきて、印象的なエレベーションを作り出す。そうなると庇より下の柱梁の構成が木造建築のような軽やかさをどんどん際立たせていく。普段は昼間のガラスが不透明な状況でみていたのだが今日は夕景でガラスも透明性の高い状態でより強調されていたように思う。また、一般的に隣の和風のコンクリート建て美術館別館は、評価が低く、正直ないほうがいいのではないかと思わせられる事もあるが、京都会館の意匠との対比という意味では大変意味のあるモノに感じられた。よって、今回の提示されている改修案での中庭側のガラスの箱は、上述の近代建築と日本的空間構成というコンセプトからを大きく損なってしまうのではないか?それは、致命的に建築の持つ価値=その建築が実現しようとした理念(それは否定された訳でも、時代遅れになった訳でもない)を損なってしまうに違いない。 ・ピロティの床のペーブメントがホール一階と同じということも知ってはいたが実感として再認識。内部的な外部として扱われている事が明確に、と同時にホール一階が外部的な内部として考えられている。これは先日のこのピロティでのピクニックの時に感じた内包される感じを作り出している考え方であるように思われる。 ・ホールのエントランスが1Fにあることによって表現される平等な市民社会という理念。まさに建築に理念を感じた瞬間。人がすーと地続きにホールに吸い込まれていく。非日常へ誘う豪勢なアプローチではなくあくまで親しみさるそぶりで人を招き入れている。ここに建築家の社会に対する理念が感じられ、それが空間的に現れていることに非常な感動を覚えた。 今回、なんども見ていた京都会館に関して、非常に新鮮な経験をすることができた。誰かに一生懸命説明しようとする事で、新しい気付きや再発見もあり、また印象や感想を言葉にまとめるよい機会になったのだろう。へたくそな英語ではあったが、伝えるべき事があれば伝わるのだという誰かの言葉を思い出した。 にしても、京都市には見学申し入れたのに、結局返事がなかった。もしかりにこれをきっかけに京都会館が世界遺産への道を歩むという事になったかもしれないのに、残念なことである。京都会館を世界遺産に。それがいい事かどうか賛否あるだろうが、今起りつつある事態に向けた一つの可能態として心にとどめておきたい。
by shinichi-log
| 2012-02-20 22:08
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