さて、京都は碁盤の目を持つ非常に人口的で抽象化された都市基盤を持っている。それゆえ、町家(+長屋)という単一の形式をグリッドの中に効率よく展開し、普及させる事ができたのではないだろうか。結構道路がまっすぐで、街区のスケールも同じくらいというのは材料の規格化にも都合が良かったに違いない。そうしてつくられたのが、町家の連なる伝統的な美しい街並だった。少し前までは。現在では、そのような町家が比較的多く残るエリアも存在するのの、基本的には日本中どこにでもあるようなマンションや商店、建て売り住宅の中にたまに町家が残っているという言ってしまえば凡庸な風景で覆われている。それは、もちろん適切な都市計画や保存が行なわれなかった政策上の失敗でもあるのだけれど、グリッドの抽象的な都市構造は、町家の街並を形成するにも都合の良かったが、よく考えれば都市を均質化するという作用をそもそも強く持っていたんではないかと考えてします。だからこそ、町家という単一のシステムで街を覆うということもしやすかったし、全体的に中庸な都市が出来上がるのも簡単だったと考えれなくもないのではないか?逆に、谷や山といった地形によって少なからず都市空間が規定されている東京の印象は、全体的に同質というものではない。抽象的な仕組み以上に、地形の持つ力が残っていて、影響を今も昔も与えているからではないだろうか。1200年の間幾度かの消失を経てもなお都市を維持しえていることもこのグリッドによる効率のいい生成力によっているのかもしれない、とすると条件さえ上手く設定できれば街並の誘導も比較的行ないやすいとも考えられないか。条件を比較的揃える事が可能であるのだから。
by shinichi-log
| 2012-02-06 22:31
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