謎、パズル、動的情報
部分だけしか聞けなかったが、昨晩のsocialkitchenでの佐々木敦氏のレクチャーを聞いて。

佐々木氏本人も終了後のツイッターで非常に面白かったと興奮気味に語られていたように、後半にかけて盛り上がっていったのだが、基本的には「日本の思想」から「未知との遭遇」に至り、加納+高橋展のタイトルでもある「パズルと反芻」について語るという内容だった(ようだ。)

日本の思想が、80年代、90年代、00年代はゲーム盤の上での「ゲーム」が「反復」してきた事に対し、テン年代はそのゲーム盤(どれだけわかるを提供できるか)から抜け出さだす事が必要とするのが「未知との遭遇」で語られている事のようだが、キーワードとして「日常」と「なぞ」ということが言及されていた。ここでは主に後者について書いていく。

「なぞ=よく分からないもの」と考える。



全てが既知の、そして「わかる」ようになることで逆説的に「分からない事」の価値が生まれてくるのではないか?その事をどう考えればいいのか。例として紹介された若手の劇団「リクウズルーム」の作品では複数の登場人物が(時にはお互いコミュニケーションを一切介さずに接触を行なうが)まったくばらばらに舞台上で振る舞い、しかもそれが最後まで交わる事がない。つまり落ちがない。ある意味が焦点を結ぶ事がない。しかし、それらは意図的に演出され、でたらめというわけではない。つまり、そこには並列的に進行していく脈絡のない出来事があるだけで、そこに全体的なメッセージや理解の仕方はない。そう言えるだろう。では、何が起っているのか?

その事は、今回の「パズルと反芻」というタイトルにひきよせての佐々木氏の話しがヒントになるように思う。ここではゲームとパズルの違いがおおざっぱに言うと
ゲーム・・・目的(勝敗やミッション)の達成
パズル・・・プロセス(puzzling)そのものが重要視される。
とされていた。パズルは、ゴールが目的というよりも、ピースをはめていく途上こそが目的になっている。つまり、意味のたち上がる「場」そのものを提示する事を意味しているのではないか。「リクウズルーム」は、(私自身はみていないので)おそらく明確なメッセージを与えてカタストロフを生み出す事を目指さず、常にそのパフォーマンスを通して意味が観客の側に生成される事を求めているのではないだろうかと考えられる。生成だけでなく、生成と消滅が繰り返され、収斂する事が意図的に避けられている。では、このことから「リクウズルーム」の舞台に感じてしまう面白さはどのように説明されるのだろうか?

「よく分からない」というより「訳が分からない」としよう。でも面白いと感じてしまう。
こう思わせるという事は、並大抵の事ではない。分からなさすぎるものは退屈を生み出し端的におもしろくない。でもその「よく分からない」と、ここでの「訳が分からない」は少し違うようにも思う。「よく分からない」はある意味がその背後にあるにもかかわらず、何かしらの理由で隠されていると言う事もできる。簡単には分からないという事がそのモノの価値を高めているということもある。それに対して、「訳が分からない」はそもそも特定の意味があるわけではなく意味の場が開かれている。受け取る側によって無限にその「訳」が考えだされていくといってもいい。この「見る側」が「生み出す」というところにこの面白さの契機があるのではないか。

「わかる」という感じが点と点が結びつく瞬間を目的とするのにたいし、ここで議論している面白さのあり方は、複数の経路が同時にたち現れ、常に新しい結びつきが生み出されている、ネットワークのようなものになるだろう。ここで情報工学の金子氏が述べている情報の2つのあり方について述べる。

さて、ネットワーク論の金子 郁容氏によると情報は2種類のあり方があり、ひとつはこれまでどおり
現在のようにネットの発達によって情報が瞬時に広まり、かつ希少性が維持できない状況に置いては、逆に情報を動的に増幅させていく事の方がより価値が高くなっていくと95年に記している。
静的情報・・・情報の希少性によってその価値を高める
動的情報・・・情報を公にすることで、常に変化増幅していく。ゆえに個別の情報は弱いものになるが総体として膨大な量の情報へと拡張する

自分には開かれていないがどこかにある物事の意味を「わかる」事の価値は静的情報といえるのにたいし、この動的情報のありかたはその価値が絶えず生成されていくという意味で、「」の舞台であり、訳の分からない事の「場」であるといえるのではないか。

「訳の分からないもの」に接することの意味をポジティブにどう解釈できるか。
この議論は、先週のde sign deの倉方塾での話しにもかなり密接に繋がっていておもしろい。

さて、ある意味昨日のレクチャー自体は「落ち」のいいわかりやすいものではあったのだが。


上で書いた事を批判されているようでもあるが、リクウズルームのblogの以下の記事は大変共感するところ多し
http://ameblo.jp/reqoo-zoo-room/entry-10914663644.html
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by shinichi-log | 2011-12-19 12:48 | Lecture log | Comments(0)
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