チェルフィッチュ/クーラー・・・日常性という名のダンス
伊丹アイホールで再演された「クーラー」は、普段演劇を主なフィールドとして活躍しているチェルフィッチュのダンス作品だ。何かメッセージを物語るよりは、舞台上での役者の身体に注目した今回の作品は、数年前に上演されたものの岡田利規本人によるリメイクとなっている。変更のポイントは、音楽自体がクラッシックから今っぽい音楽へ。そして音楽とせりふ、体の動きが同期するかしないか。ということだが、当然見た時点ではそのような前情報は持っておらず、そういうことを意識してみていたわけでは決してない。

普段の演劇でもそうであるように岡田の作品は何気ない日常の動作、せりふから始まっている。今回も「今からクーラーってのをやります。」という宣言によって作り出された時間の中で男女の日常的な会話が繰り広げられる。昨日見たテレビの話、そしてオフィスのクーラーの話。確かにそこでの動作は少し異様かもしれない。しかしそれは単に異様な動作なのではなくて、改めて舞台で取り出されることで見えてくる異様さ。他人と会話するときについそわそわしてしまうとか、寒さで体をこわばらせるとか。そういう動作をきちっとやると、普段気づかなかった面白さが見えてくる。

さて、それでダンスの話になるのだけれど、予想通り舞台上でダンスは始まらない。そのかわり何度も何度も同じシーンが反復され演じられる。そうしているうちに個別の動作の意味はどんどん希薄になっていき、ある時音楽が鳴り始める。そして役者/ダンサーの声が肉声からマイクスピーカーに切り替わり、身体から声が切り離されていく。で気づくとなんとなくダンスらしい(身体が強く訴えかけてくるような表現)がたち現れてきている。さっきまで日常的風景の再現だったものが、いつの間にかダンスへとずれている。

最初に書いたように、決して音楽と身体の動きの同期性によってダンスらしさが生み出されていたわけではない。むしろそれは意図的にずらされていた。だからこそダンスが持つ意味自体を読み替え、かつダンスにみえる作品が作られている。

それはダンスというものをある特異な身体、経験として捕らえるのではなく、すでに私たちは日常の中でダンスというものに遭遇可能であるという経験の更新へと開いていく。
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by shinichi-log | 2009-11-24 22:45 | review | Comments(0)
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