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あれもこれも味方につける
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昨日は、西澤徹夫さんにお誘いいただき生瀬のオープンハウスへ。正確には西宮市だけど宝塚らしい厳しい傾斜の山手の住宅地。全面道路の傾斜を引き込むようなスロープ、それに呼応するような少し折れ曲がった躯体に、少し長めに突き出た軒という愛らしい佇まい。内部はRCに直接床板が載っているだけだったり、RCの立ち上がりが巾木になっているなど、モノの扱われ方を観察するのが楽しい。

建物自体はとてもコンパクトなので、この土木的なスロープが少し大袈裟なような気もしたが、裏側に広がる森が敷地であること、またスロープ下の半屋外空間の親密さを見ると、これくらいの存在感がちょうど良いのだと実感。また、周辺の住宅も敷地と道路のつなぎ目で土木的なつくりと建築的なスケールがせめぎあっていて、風景との連続性をこうした敷地との関係の中で作り出しているように感じた。

下地/仕上げ、土木/建築、地形/敷地、そして人/人以外の存在の間に通常引かれるスラッシュが丁寧に「チューニング」し直されているところが西澤さんらしいと、とも言えるのではないだろうか。


夜は今日で結婚1年ということで、妻と二人で念願のごだん宮ざわへ。丁寧に調理された料理と細やかな心遣いにとても楽しい時間を過ごすことができた。「美味しい」という感覚はかなりいい加減なもので場面や状況に応じて変化するものだが、「楽しい」は、食材の一つ一つ、それが盛られるお皿の一つ一つに込められているストーリーを感じ、それが連なっていく様を味わうことで生まれる。またそれは時間がとても上手に扱われていたはずで、それは「コントロール」するではなく「味方につける」なのだろうなといたく感服してしまった。


で「チューニング」っていうのも、いろいろな空間の要素を「コントロール」すると言うより、それらを「味方につける」ための仕込みのようなものなのかもと、強引に思考の回路をくっつけてみる。
# by shinichi-log | 2016-07-04 17:52 | daily
ちっぽけな苦痛に耐えられない人々
イギリスのユーロ離脱のニュースに関して。

EUが掲げる「多様性の中の統合」という理念には大きく共感を抱いているが、同時に地域主権の大切さも理解出来る。統合によって、自分たちが生きる上での選択肢が巨大な機構に支配されてしまうことへの違和感。イギリス国民の離脱への意思表示は、この理念そのものの失敗ではなく、進化を続ける共同体において、これまでとは異なる次元の多様性への違和感が生まれた時に起きた「技術的未熟さ」によるものだったと考えたい。これまでの(政治的、社会的、経済的)な統治のための技術では対処しきれない、新しい状況が起こっている。それは、排外主義的な自己中心的な考え方を支持するものではなく、次のステージに上がるための新しい(統治の)技術が、今必要とされている、そんなことの表れではないかと思った。

戦争や巨大な災害といったものからくる苦痛は「運命」「歴史」「超自然的な力」といったどうしようもない存在のせいにしてしまうことで、以外と我慢できる生き物ものなのかもしれない。自分の生を壮大な物語に位置付けることができるから。逆に、日常生活で感じる些細な苦痛に私たちはどうしようもなく我慢できない生き物のようだ。そこに、自分の人生に素晴らしい意味をあたえてくれる物語はなさそうだ。そして、その原因が具体的に身近にいれば尚更なのだろう(実際のところその原因が、彼の個人的なものではなく歴史的背景を持つものだとしても)。ゴミが散らかっている、バスが混んでいる、なんか不安、その原因は近所に引っ越してきたあの人たちのせいに違いない。それが些細で、人生の意味と関わりがないような、そして誰かのせいにできる(それが自分より立場が弱い者であれば尚更)状況であればあるほど。
# by shinichi-log | 2016-07-02 18:18 | daily
パラーディオの街
※なぜか画像が横倒しにしかならないです。すみません。。。
パラーディオの街_e0055325_2346224.jpg


少し前のことになってしまったけれど、ベネチアから特急列車で40分、後期ルネサンス期の建築家パラーディオの街として有名なVicenzaへ足を伸ばした。学生時代にイタリアを旅行した時に、この街のユースホステルで数泊し、周辺の街を巡ったこと記憶もあり、懐かしい再訪となった。実は、その時にもパラーディオ建築を見て巡っていたはずだが、正直よくわかっていなかった、というか何も見えていなかったんだと改めて反省させられた。

この街には、その名の通りパラーディオが設計したパラッツォ、教会、劇場が点在し、街から少し離れた丘の上にはかの有名なヴィラ・ロトンダも建っている。彼がパラッツォをこの街でいくつも建設できたのは、どうやら単なる人気建築家だったからというだけでなく、当時ヨーロッパで最新のデザインだったローマ時代の建築様式を用いた建物によって、ベネチアの支配下にありつつもVicenzaという街の権勢を示そうという有力者たちの想いがあったようだ。

学生時代にも数日この町に滞在し、ここを拠点に周辺の街を巡ったことがあった。その時にもパラーディオ建築を見てはいたはずだが、何も見えてなかったんだと反省。今回は非常に収穫の多い見学だったので幾つか感想とメモを残しておこうと思う。

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# by shinichi-log | 2016-06-12 23:48 | daily
意識的な「素材」のチューニングが生み出す「仕上げ」
京都 山科の住宅 by ARTENVARCH

京都から滋賀へと向かう国道沿いの道から少し入ったところにある南面の斜面を造成して造られた住宅地に建つ若い夫婦のための住宅。北から南に向けて高くなる3つの切妻屋根を持つ構成で、一番南側は1、2階ともに屋外空間となっており、坂の下からアプローチするとこの大きな気積を持ったフレームが印象的に出迎える。一般的な縁側空間は軒を深く出し、風景を水平に切り取りつつ、内部に適度な影を作り出すわけだが、ここでは半屋外空間の屋根が一番高く設定され、独立した部屋として設計されている。真ん中のボリュームの内側から外を見ると、まず(真ん中のボリュームの)軒裏が見え、その先のもう一層高い位置に軒裏が見える。この反復の操作が、内部の開放感を一層高めている。

内部の仕上げは基本的に床・壁・天井ともにフレキシブルボード素地仕上げ(床のにウレタン塗布)で、そこに既製品の高性能サッシがつき、バルコニーはむき出しのファインフロアとブレース、農業用シートを使ったカーテン、ガルバリウムの笠木と全体的に即物的に素材が用いられている印象を受ける。一方で、建物全体は「グレー」の色味に統一されるように慎重にチューニングされている。具体的には、クライアントの要望から選ばれたグレーのフレキシブルボード、景観条例によるであろうグレーの外壁とそれに近しい色味のサッシ、カーテン、手すり、木材への塗装、一部ホワイトが用いられているが、曇り空の下ではそれらもグレーの階調の中に溶け込んでいる。つまり、素材のレベルでは即物的に「仕上げていない」が、全体でみるとそれらは「仕上げられている」と感じられる。そっけなく使用されている「素材」と、意識的な「素材」のチューニングが生み出す「仕上げ」。

そう考えると「仕上げ」という状態は、そのもの単体において生まれる状態というよりも、建築全体における他の素材の状態との関係の中で決まってくるものとして捉えられる。仕上げが集積して全体が作られるのではなく、全体の中で「仕上げ」という状態が決まってくる。そうするとこのグレーという色そのものが「仕上げ」であることや、装飾的な要素であることをこえて、この住宅における「仕上げ」という状態を規定していると考えられ興味深い。その他、性能面についてもかなり意識的に取り組間れており、次は「性能」と絡めつつ「仕上げ」についての話を伺ってみたい。
# by shinichi-log | 2016-04-23 20:45
組織と塊
先日、大見で指導のもとに鹿の脚をさばく機会があった。肉を適度な大きさに切り分けるというようなものではなく、筋肉と筋肉の間に包丁を丁寧に差し込み、引き離していく。土の中からわずかな鉱脈を探るように繊細な操作が求められる。切るではなく捌く。様々な働きを持った筋肉を解きほぐす。肉の塊ではなく、筋肉の組織だと認識すること。
# by shinichi-log | 2015-11-15 01:32



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