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先日のジャカルタの都市研究についてのインタビューを受けて思った事。
日本人建築家の十八番ともいえる個人住宅。けれども中国のように全ての土地が国の所有である場合、都市部では大規模な開発で集合住宅を建設するという事態がおこってくるため、個人住宅というリアリティが全然わかないというのが現状らしい。そうなると、日本で住宅をたくさんつくって実績を積んで、中国のマーケットにといっても中々理解が得られないという事も起こりえそうだ。けれども、都市化が進んでいるのはなにも中国だけでなく、インドネシアなど多くの国は日本(というか多くの国)と同様に、個人が住宅と土地を所有している。その上インドネシア政府は公共住宅の共有をほとんど行なっていないという事なので、タイプはあれど基本個人住宅によって都市が造られているともいえる。現状では、その地域の大工さんが住宅の建設に関わっているらしいが、日本同様世代が進むにつれて起る土地の細分化や、都市化による環境変化にたいして、建築的な有効な対応がとれていないらしい。なので、もしかしたらそういう場所には日本の建築家の住宅分野での豊富な経験の蓄積が多いに役に立つのかもしれないな、などと考えてしまった。中国のその先に。
さて、京都は碁盤の目を持つ非常に人口的で抽象化された都市基盤を持っている。それゆえ、町家(+長屋)という単一の形式をグリッドの中に効率よく展開し、普及させる事ができたのではないだろうか。結構道路がまっすぐで、街区のスケールも同じくらいというのは材料の規格化にも都合が良かったに違いない。そうしてつくられたのが、町家の連なる伝統的な美しい街並だった。少し前までは。現在では、そのような町家が比較的多く残るエリアも存在するのの、基本的には日本中どこにでもあるようなマンションや商店、建て売り住宅の中にたまに町家が残っているという言ってしまえば凡庸な風景で覆われている。それは、もちろん適切な都市計画や保存が行なわれなかった政策上の失敗でもあるのだけれど、グリッドの抽象的な都市構造は、町家の街並を形成するにも都合の良かったが、よく考えれば都市を均質化するという作用をそもそも強く持っていたんではないかと考えてします。だからこそ、町家という単一のシステムで街を覆うということもしやすかったし、全体的に中庸な都市が出来上がるのも簡単だったと考えれなくもないのではないか?逆に、谷や山といった地形によって少なからず都市空間が規定されている東京の印象は、全体的に同質というものではない。抽象的な仕組み以上に、地形の持つ力が残っていて、影響を今も昔も与えているからではないだろうか。1200年の間幾度かの消失を経てもなお都市を維持しえていることもこのグリッドによる効率のいい生成力によっているのかもしれない、とすると条件さえ上手く設定できれば街並の誘導も比較的行ないやすいとも考えられないか。条件を比較的揃える事が可能であるのだから。
メモ程度に。
建築はライブでしか体験できないので、それ以外の建築の伝達は2次的にならざるを得ない、というベタな話しがあるとして、現状その問題は建築にとどまらず、表現の世界ではどこにでも起っている問題なのではないだろうか? サイトスペシフィックということで美術館からアートがでていったり、どうアーカイブするかという問題にも通じると思うけれど、これについてはmuseumの巨大化などによって物理的に再回収(そのために箱自体が最適議されるとうう逆説もありつつ)されたりしてきた。しかし、現在おこっているのはものではなく関係性であったり状況であったりとよりアーカイブが難しくなっている。また、第三者が後から見た時にそのライブでの体験との差異が、視覚的な作品とは異なったカタチで生まれてくるということは明らかだろう。(建築でも建物を作ることだけではないコミュニティのなかでの振る舞いそのものが評価対象となる状況がうまれつつあるように思われる。) ライブで起った出来事や状況そのものが制作物として目指された場合、それはどのようにアーカイブされていくのだろうか?どのように伝達が目指されるのか?これは、建築においては特に展覧会という形式に置いてその困難さが露呈してしまう。また、大型のインスタレーションでの乗り越えというアプローチをとったとしても、アーカイブの問題は残る。例えば、川俣正のようなアーティストの作品が美術館に収蔵されるときなにがどのように収蔵されるのか?だから、建築が抱えるこのアポリアから、現在のアートを含むライブとアーカイブが分離した制作物においての伝達の方法や困難さについて考えることができるのではないだろうか? ということをふと思った。 ![]() 今年もよろしくお願いします。 ともう何度書いたことか、そろそろいいだろうと思いつつ、昨日は新年会で書き初めというものをおそらく人生初で書きました。たしか「先手必勝」って書きたいと朝は思ってたtのに、忘れてしまい結局「先取先制」。まあ意味はほぼあっているのでよしとしよう。 昨年は、物事を後手後手にまわしてしまうことでいろいろ冷や汗かいたり、迷惑をおかけしてしまったりしたので、今年は少しでも先回りで物事を進めることができるようにしていきたいという思いを込めてみました。 とにかく、3月までの今年度をしっかり締めくくるというのが当面の目標。 ちなみに、10月にパリで行なった展覧会のカタログ(120分DVDつき)が販売開始になりました。以下のリンクからご購入下さい。建築系の書店にも随時置いてもらえるように動いていきます。よろしくです。http://kenchiku-architecture.com/#news/news_8
部分だけしか聞けなかったが、昨晩のsocialkitchenでの佐々木敦氏のレクチャーを聞いて。
佐々木氏本人も終了後のツイッターで非常に面白かったと興奮気味に語られていたように、後半にかけて盛り上がっていったのだが、基本的には「日本の思想」から「未知との遭遇」に至り、加納+高橋展のタイトルでもある「パズルと反芻」について語るという内容だった(ようだ。) 日本の思想が、80年代、90年代、00年代はゲーム盤の上での「ゲーム」が「反復」してきた事に対し、テン年代はそのゲーム盤(どれだけわかるを提供できるか)から抜け出さだす事が必要とするのが「未知との遭遇」で語られている事のようだが、キーワードとして「日常」と「なぞ」ということが言及されていた。ここでは主に後者について書いていく。 「なぞ=よく分からないもの」と考える。 More
倉方塾に呼んでいただき、ひさしぶりのRADプレゼン。
僕らにとっては、来年度からの展望をふまえて、これまでを振り返る非常にいい機会であった。 これまで、時々の状況や巻き込まれ方で進めてきたプロジェクト達を構造化するよい機会となった。 師でもある米田さんが会場に来られるという事でかなり緊張していたが、直前によった粒々堂の松村さんにお茶に誘ってもらった事で大分緊張がほぐれた。ほんとにありがとうございました。 【未整理なメモ】 さて、一通りプレゼンをしたところで、自分たちの意見表明という事に置いて不十分ではないか?そのことが何となく不可解だというような話しへと議論が進んでいったように思う。それは、各プロジェクトが並列的に並んでいるのだけれど、その全体を通しての集約されたメッセージが見えてこないという事へのいらだち、というか腑に落ちなさだと思う。そのように活動を上手く集約して編集したらすっきりとクリアに見えるという意見が一方であり、パッケージ化されていない状態をとどめいている事こそRADの活動における強みなのではないかという意見もだされた。つまり、並列的に扱う事でRADのアイデンティティがまず複数化されるのだが、そのことは個別の強度の弱さとしてありつつも、並列であるからこそ巻き込める人のバラエティや、場に適応するカタチでのプロジェクトの進化の可能性もあるだろうと。それは西洋的というよりは東洋的な思想であって、ネットワーク理論に近いものなのではないかというのが恩師のご指摘。 途中三角形をもちいた図を提示し建築的な領域の広がりを説明した。意図していなかったが、おそらくそこで言いたかったのは、要は中心の一点に集約していくような動きではなく、周囲に網の目のように拡散して広がっていくような動き方がしたいという事だったのではないだろうか。おそらくその事が、先に言われているネットワークであり、現代的なリスクヘッジという話しに繋がるのかもしれない。つまりそもそも集約化しパッケージングする事が目的ではなく、どれだけ拡散でくるのかということを僕らは問題にしていた。 そういえば、MVRDVが都市においては革命ではなく、絶え間ないevolutionこそが重要であるべきだと言っていたが、そのようにRADの各プロジェクトも発展的進化を遂げながら、状況に合わせて生き残っていくという戦略と考える事もできる。その事の価値や意味やクリエイティビティをどれだけ提示できるのかということにいなるのだろうか? プロジェクト同士は並列的に存在し、主体性を複数化したまま、プロジェクト内部での集約を上手く進めていく事が今後の課題でであろうか? ともかく、プロジェクト自体への質問はなく、RADという活動そのものへの疑問が集中した事がどういう事だったのかも少し考えたい。
長坂常さんのレクチャーと行き帰りの電車の中で読んでいた一般意思2.0、13章がおもしろいくらいにつながって読めてしまったので、その事を少しメモ(以下は思いつきのレベルをでない上に、文章も支離滅裂だ。関連付けに根拠もないし、説明も十分でないです。その辺りご了承ください。)
さて、一般意思2.0の中で東博樹はアメリカのプラグマティズムの哲学者ローティによるアイロニスト(アイロニーを実践する人)の定義を紹介している。 「自分にとって最も重要な信念や欲求の偶然性に直面する類の人物」(ローティ) これがローティによる定義なのだが、ここでいう偶然性とは「たまたま」という感覚を指している。ゆえにそれは東の記述によると、「あることの普遍性を信じながら、同時にそのものが特殊である事も認める」人ということになる。この「2つの矛盾する主張を同時に信じる」ことに如何に耐えるのか。 さて、これがどのように長坂さんの話しに繋がるのか。話しの中で「これでいいいのだ」という価値観を大切にしたいという長坂さんの言葉があったのだが、これはつまり「これがいい」というカント的な主観に根ざした絶対的な価値観によってモノをつくるのではなく、「これでいい」という態度によって、その事自体は確かだけれども当時にそこに外部としての他者を受け入れることを許容する という意味において非常にアイロニカルといえるのではないか? 建築家は、引き渡しという時間的な切断を行なわなければならない故に、その時点での完成形を目指して建築をつくる。しかしながら、それはひとつの完成形ではあるものの、同時に他の完成形の姿を許容する建築のあり方。 もう一点、この章の最後に自由について議論が紹介されている。 自由とは、主体の意識的な行為を何事も妨げられないということを意味する。自由を信奉する人の事をリベラルとした上で、ローティはリベラルであるという事を「理念を必要としない、身体的な反応(=無意識)を意味する言葉としてとらえ返し」ていると東は述べている。 長坂さんのスライドもまた自由になりたいということから始まっていた。自由とは何であろうか?自由を獲得するためにはどうすればいいのか。自分の意識を先鋭化させて何ものにもとらわれず自分の表現を突き詰める事が一般的には自由であると考えられているが、長坂さんの場合はそうではない。そのような行為は逆に多様である事、自分以外の何かを受け入れる事の可能性を取り除いてしまっていると考えているようだ。では、自由はどのように獲得されているのか?ここで長坂さんがきわめて限定的な行為「とる」「削る」「切る」「流し込む」によってデザインを行なっている事を思い出したい。単純な行為=操作。それは先の言葉で言うと「身体的な反応=無意識」を呼び起こすためのきっかけではあるまいか。ローティの自由の概念が一般的なものと異なっているのと同様に、長坂さんの自由も、これまで建築家や芸術家が目指してきた自由と実は正反対のものとして構想されているのかもしれない。 この自由を巡る態度は先のアイロニーの議論と繋がってくる。アイロニストである長坂さんは操作の限定性(=何でもできるではない)によって、最大限の自由を建築の中に生み出せるのではないかと信じている、そう考えれなくはないだろうか。。
ウルトラファクトリーCritical Design Lab.とAFH(Architecture for Humamity)が宮城県南三陸町志津川地区に番屋(漁師小屋)を建設する恊働プロジェクトをおこなっており、RADも参加している。今日、そのリサーチ結果の発表が参加している学生から行なわれた。その模様はここhttp://togetter.com/li/221599にまとまっているので、思った事を少し。。。
震災によってそれまで家族経営で別個に漁を行なっていた漁師さん達が今協業での漁を行なっている。実際行ってみて驚いた事に、それまで漁師さん同士の交流はあまりなく、お互いの漁の方法や加工する機械すらよく知らないという状況だったらしい。いわば商売敵同士であり、また穫るものが違えば漁の時間も違ってくるというのが主な理由だろう。なので、震災を機に(実際実に多くのものを漁師さんは失っており、簡単に言う事はできないのだが。協業化の一番の原因は設備のシェアでもある)これまで分断されていた漁のノウハウが共有されたり、うまくタイムシェアリングが起る事で、震災前よりも効率的で計画的な漁業の姿を描く事ができるのではないだろうか。 今回建設される番屋もここ最近は利用されておらず、ヒアリングの際もその使い方のイメージは漁師さん毎にことなり曖昧なものだった。おそらく漁が個人単位になったこともあって、あまり協業の場としての番屋が使われなくなっていったのだろうと推測される。なので、今回番屋を建設する事は同時に、新しいこの協業化という動きと連動するものでなければならないのではないか。新しい働き方によって番屋の使われ方がみいだされ、また番屋によって協業化の流れが確かなものになり、これまでにない働き方が生まれてくる。そのように建築がこの土地の漁師さんたちと復興という道のりを歩んでいく事を願っている。 プロジェクトは、来年の春頃まで続く予定。
ウルトラファクトリーにて、パーソンズ美術大学のキャメロン・トンキンワイズ氏と、AHFのナサニエルのトークイベント「サステナブルデザイン」とは?に参加
以下、キャメロンがサステナブルデザインにとって重要なポイントとして語った内容を簡単にまとめ。 1、Social Networking ソーシャルネットワークそれ自体ではなく、コミュニケーションのツールの変化によってコラボレーションの方法が変化。人=human energyを対象にすることが重要になってくる。 2、Amplify hidden Share 世の中の目に見えない"Share"をみつけだし、展開していくという事。近代的な社会システムは"buy=所有する"によってなりたってきた。郊外はまさに、家、車、家電を個人が所有する事によってしか始まらない生活空間。所有という概念を帰る必要があり、その代替がシェア。様々なシェアのプラットフォームがうまれつつある。しかし、そもそもシェアという状況は社会の中に存在している。その見えないシェアを発見して増幅することによって、シェアの役割りが強化されていく。それがデザインにとって重要。 3、Service design プロダクトだけでなくその先のサービスデザインまでを考える事。design for peopleでなく、desing between people(おそらく)。ある種のサイクルを考えるという事。 非常にわかりやすくまとめられている提案だと思う。注意しておきたいのは、これが主にヨーロッパで見受けられるということ。つまり、日本は日本のサステナブルについて考えないと行けないし、オーストラリアはオーストラリアのそれを見つける必要があるという事だろう。もし、単一のサステナブルを世界中に適応するのだとしたらそれこそ近代と同じ轍を踏むことになる。 最後にもう一点。キャメロンはデザイナーという語が不当に多くを担わされていると考えているようだ。つまり、デザイナーとイノベーターは分けて考える必要がある。イノベーターとは、オリジネーターであって、新しいアイデアを発明する人のことで、アーティストや起業家のようなひとを意味する。それにたいしてデザイナーとは、そのように発見されたアイデアのエッセンスを引き出し、生産のラインに載せる事で生活を豊かにする人間の事をいう。そして、現在ではこの「エッセンスを引き出し」と「生活を豊かにする」の間が変化してきていると言えるのではないだろうか?
べつにどうでもよい事
特に震災以後、と言われるようになって建築学生の目の向く先がずいぶんと変わってきたようにも感じる。社会に目を向ける事がトレンド化する。 それによっておそらく、昨日藤村さんが言っていたけど、建てないということが魅力的に写るという現象が起こっている。その片棒を担っていると言えなくはないが、誰かのためにやっているわけではないので別によい。 できれば学生の時はできるだけ夢を見るのがいいと思う。できるだけ大きな夢をみて、世の中がどうなろうと、好きな建築家の作品ができれば長い時間かけて見に行くし、建築雑誌を眺めるのが至福の時間であるべきだ。そうして深く根を張ってこそ振り向ける世界もあると思うから。 なんかちょっとまじめすぎない?
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朝から激しい雨が降り続いている。 事務所で仕事をして、夕方京都会館の話し合いに参加。 12 国立国際美術館に風穴展をMと見に行く。 相変わらず島袋さんの作品はすてきだった。 亀の指が5本あったことに感動。つまり亀と自分が同じということを実感。 夕方公共政策論でレジメを発表。 13 事務所で比較的まじめに仕事。 SOTの企画書とK×Aの後援依頼について 14 ― 15 SO展最終日かつギャラリートーク。 前回の反省に基づき準備するも、建築の話しになかなか結びついていかなかった事が非常にもどかしい。 進行自体は前回よりもよかったと思うがまだまだ反省は多い。 打ち上げで近藤さんのバースデーを祝い、oil、みよしという流れで解散。 ![]() 16 事務作業およびSOの撤収。夕方松延君が手伝ってくれた。 17 ― 18 ![]() 高橋さんの展覧会の設営を朝から伸吾さんと進める。 と同時にK×AとSOTのオファーメールを同時に送信。 返事の有無に一喜一憂して過ごす。 この頃はヘレニズム文明についての歴史書にはまっていた。 まさに歴史は教訓と人生の示唆に富んでいると同時に、そのストーリーはどんなストーリーテラーよりも巧み。 作者の矮小な思想やメッセージが存在しない、ただ、歴史が語っている。 19 廣瀬さんと一緒に龍谷の食堂でランチ。 久しぶりに機構の事務所にいって休暇の届け出。 夕方、同志社で授業。 20 午前中からソーキチで家具制作。 夕方、NO ARCHITECTSの事務所開設のパーティーにお邪魔する。 いわゆるクリエーター系のアパートで、いろいろと楽しそうな人が集まっていた。 運河沿いのロケーションはかなりいい。 21 榊君とミーティング。 artzoneでのトークイベントに参加。吉村さんの話しがこのタイミングで聞く事ができてよかった。 建築にかかる規制力のうち、環境=敷地、身体みたいなものでなく、法規、市場のようなものから建築を考えていきたいという話しに共感。それと建築の時間のうち建設の前後をどうとらえるのか?という問題は自分にとってもアクチュアルで面白かった。テーマは制度ということだったが、制度の中にいるHさんが制度の中にいつつそれを壊していくことで新しい動きを作り出しているのにたいし、吉村さんは制度をうまく読み替えていく事で建築をドライブさせていっているのではないだろうか。 藤原さんのモデレートの上手さが身にしみて実感。 結局この日もoilにて打ち上げ。 深夜に辻君と話していて出てきたアイデア(=目次)はそのうち実行したい。 22 ソーキチでほぼ一日キッチンでの仕事。 これは文句無く楽しい。 これだと完全に、仕事が趣味で、趣味が仕事になっている。 幸せの経済学と言う映画の上映会が行なわれていた。 23 午前中は機構の仕事。 午後からはおもにパリ行きの準備。 25 ソーキチで研修。 夜は京都会館のオペラ建設のニュースを受けてのブレスト。 民主主義のない政治と、国民の意識の低さ。 26 午前中ワイガヤ 午後から授業とパリ行きの荷造り 不安な中とりあえずの準備はできた。 27 関空からオランダ経由でパリへ。 昨年リサーチでパリに行ってから早いもので一年が過ぎている。 一年あってまだここという感と、やっとここまでという感が混ざり合っている。 到着後、Benの家に向かいマルトと再会し、荷物を置いて夕食に出かける。 Ben,田村さんと合流。 日本時間の朝8時頃まで起きていた事になるのでこの日はかなり疲れた。 長い一日。 28 午後からl'ESAのギャラリーが見学可能という事で田村さんと現地待ち合わせ。 l'ESAのギャラリー部門のディレクターであるCedric(ベルギー人の建築家)と挨拶しギャラリーを見学。 写真でみるよりもよいスペース。オーディトリアムは空間的にはいいのだけれど少々汚い。 先週はアイゼンマンのレクチャーがあったらしい。 昨年も行ったガレット屋さんへ行く。 夕方、原口さんとポンピドゥーの前で待ち合わせ、近所のカフェで明日からのミーティングについて打ち合わせ。 その後グランパレにMONUMENTAを見に行く。今年はカプーアによるインスタレーション。 背後の思想やコンセプト云々ではなく極上のエンターテイメント。モニュメントとはそういうものかもしれない。 最後は、Olympiades近くにある中華街でCCTVをみながら中華料理を食べるパリの夜。 一日重い荷物ごと歩いてしまったのでかなり体力を消耗。 ![]() 29 マルトのアトリエのLunchPartyにおよばれ。 途中、駅近くの朝市でで買い出しを行ないチキンのローストやチーズやパンを購入。 市場へ行くと気候的な豊かさをまざまざと感じさせられる。果物も野菜も種類と量も豊富。 ウサギのローストがいくぶんグロテスクな様相。顔が、、、 すばらしいランチタイムを過ごす。 何か特別な料理が無くても、楽しめるのが気楽でよい。 その後、後ろ髪を引かれつつも、Cedricとミーティングのため市内へ。 途中からDjamelも加わり、トークイベントでのトピックについて議論。 最後に翌日のOdileとの打ち合わせに向けて議題を確認し解散。 この時に予備の財布をすられる。油断禁物。 気分転換に蚤の市を見て回り、ビールを飲んで帰宅。 30 午前中Cedricと事務的な打ち合わせを行なう。 午後、教務課のMarieさんと共に条件をつめていく。この人で回っているんだなという感じのしっかりとした人。少し安心できる。 その後、Odile Decqを交えてランチミーティング。 Odileさんはまさにカウンターカルチャーを体現したような人で、保守的な事を非常に嫌い革新性を大事にしている。大学の運営方針もだから反アカデミズム。日本の建築家がみな有名事務所出身な事に少しばかり不満だったようで、新しい道を切り開いてる人がよいとずっと言っていた。 夕方GRAUとの顔合わせが延期になりかわりに、l'AUCでDjamelと再度打ち合わせ。 Djamelさんの位置づけとサポート態勢の確認について。 原口さんも一緒にBenの家で夕食。ほんとおいしいハムとチーズがあれば夕食はそれで十分。 日中の空き時間を利用してオランジュリー美術館へ。 モネの睡蓮はこれまで何作品か観た事があったが、それとは全くとがった体験。 まさにこれはインスタレーションのよう。刻々と変化する表情。深みのある透明感。 有名だからという事を超え傑作というものはあるなという事を再確認。 ![]() 31 ![]() 午後からお土産を買いに街を練り歩く。 街を歩いていると極力いろんなところに行こうとするのに、面白い事に結局同じ場所を何度も通過する事になる。 そういう人の意思とは関わり無く都市の結節点のような場所は確かにある。 夕方、Thomas Raynardへのヒアリング。 こころよくプロジェクトへの参加を了承してくれた。 都市というよりかは地方でのプロジェクトを好み 建築が周囲の環境から少し独立しているような印象を与える。 ![]() 1 岡田利規「コンセプション」を読む。 我々が問題とし課題としなければならない先行世代が行なっている事は何か? その先にある壁をやぶらないといけない。それは、いわゆる脱構築的な方法が必要。強度を持たせるため。基準はそのまま、仕組みを利用して、そうじゃないものに向かっていく。 具象と具体について ダンスは具象を消して具体(身体)のみでいく。 具体芸術もそう?素材のみ。具象=表象がない?→アングラ的なつまり意味を消していく行為=ダダ??具象と具体が併置されている状態の強さ。。。 ヨゼフソンの彫刻=具体であると同時に具象であるといえるか? 東京と京都とイベント続きの週末最終日 とはいえGWど真ん中の日曜日。 なりがradlab.に遊びにきてくれたので、夜会田君となりと飲みにでる。 2 快快「はつしば」を観劇。そもそもこの体験を観劇と言ってよいのか。 インタラクティブというような双方向というのでも違い、演出家も舞台の端から見守るのではなく、その場の中にいて調整していくような感じ。はつしばという話のプロットがただあるだけで、それを演じるのではなく、今ここで生み出していく=パフォーマンスの連続。役者も演じるというよりパフォーマー?気がつくと観ている側も積極的に舞台に関わる事で、どんどん状況が面白くなっていく。話がではなく状況が。それが底抜けに自由で楽しい。 昨日の具象/具体でいえば、物語のプロットにそう事でかろうじて具象である事にとどまりながら、そこで行なわれるパフォーマンスはまさに具体として現れている。 新しくなった大阪駅、その背後で進む北ヤードの建設を目撃 3 大山崎山荘美術館へ。 その後ギャラリーで当番 黄砂がひどく、なおったはずの花粉症症状が再発。 4 午前中socialkitchenでの研修。 午後からギャラリー当番。後再びソーキチへ。会議。 5 6 7 kitsouneで髪を切り、 榊君と打ち合わせをすませ 夕方野村君の結婚式2次会へ。 oilにてふとしさん杏ちゃんと飲む。 8 SPACEOURSELVESのギャラリートーク。 準備不足からくる進行のまとまりの無さ。散逸でまとまりに欠ける話題。 せっかくの同世代トークもうまく盛り上げる事ができず。 反省多し。打ち上げ後はhanareradで朝方まで。 9 午前中は天気もよく、元木さん天下一品の本店へ向かうも臨時休業。 銀閣寺店まで300メートルというのにだまされ、結局百万遍まで向かう。 午後からsocialkitchenで研修。 10 久しぶりに事務所に出社。事務作業をこなす。 夕方同志社の授業。 図書館でフランソワシャムー「ヘレニズム文明」とパウロ・コエーリョ 「巡礼者の告白」を借りる。 いつ読むのだか。。。 ちなみにhellenistique=ヘブライ語法まじりのギリシア語のという意味らしい。 夕方から激しい雨。 今日明日は國時さんが行商のためhanareradに宿泊中。 ![]() 21 機構、公共政策論授業。権利の獲得のための法律。 帰宅後、田所さんと松本の教会の原稿打ち合わせ+伸吾さんとLABORATORYで6月のイベントの打ち合わせ。 22 布野さんインタビューのため滋賀県立大学へ。タウンとアーキテクトの取材。 その後、原口さんの壮行会。鈴木さん、松延くんらと。朝までみっちりアート談義。最後はみよしで締め。 23 ボヤーっとした体を引きずって起床。 事務所でDMおうけとり、夕方アーキフォーラム。もと新建築編集長、GA創刊編集長の石堂さんのお話。新建築という雑誌が今や一種のアーカイブ化しており、インフラ化しているのではないかとふと思う。 24 午後からコーナンへ模型台の買い出し。 DM送付作業、ラベル張りなど。 25 午前中、機構。 午後から模型台をY君Sさんらと作成。夕方までにほぼ模型台が完成。 レイアウトも特に問題はなさそう。帰宅すると、高校時代の親友のYから結婚式の招待状がとどく。 26 午前中、微妙に足りていない模型台の材を買いにコーナン。角材を抱えて地下鉄にのり事務所へ。昼から学生が手伝いに来てくれるのに合わせて台の作成。とりあえずペンキ塗りまで完成。 同志社へ授業。今日はサッチャー政権からブレア政権への変化についてなど。 都市政策論は都市系の話でそれなりにおもしろかった。建築協定、地区計画の違いなど。 事務所に戻って手伝いにきてくれた一回生に部屋のペンキ塗りを手伝ってもらう。 楽しんで手伝ってくれるからこちらも気が楽。予定通り設営は進んでいる。 27 午前中からプレマッチング交流会。その後模型設営。 28 午前中設営の残りを行ない、2時頃に新幹線にとびのる。 富士山がとてもきれいにみえた。ほんとひさしぶり。 夜、とびらプロジェクト報告会&乾中山対談。スライドがぬけぬけだった件。反省。やはり僕はどこか抜けてしまっている。来場者多く、トークの内容も非常に興味深いものだった。 ただ、この会の成功はあくめでもイベントの成功ではなくとびらプロジェクトへのメンバーシップが集まる事。だからその事を忘れていてはいけない。メンバーシップを成功させる事が本当に大事。 打ち上げはAXIS一階で、そのごついにリアルまっちゃん、3次会は近くのバーへ。 解散するころには空が白んでいた。とてもたくさんのビールが飲み干されていたよう思う。 ・乾さんと中山さんの対談について忘備録 乾さんによるプロジェクトの紹介。建築が個別解であることから一歩進んで、「普遍性の獲得」へと至る事が、世界につながる存在としてある事なんではないかと指摘。その時に建築は、タイポロジーにつながるだけの合理性が持つ強度によって建築が成り立っている。一方中山さんは、ある意味を否定するのでも乗り越えるのでもなく、立ち位置を絶えず相対化することで、両義性の巾を調整している。2人とも既存な意味をずらす事で街や世界につながっていく事を目指しつつも、一方は普遍性の獲得へ、もう一方は両義性の振幅へ向かっているのが非常に興味深い。 その後の、延岡についての乾さんのお話について。建築のシェアの仕方を明快に分類。プロセスの共有、ユーザーである事の共有、建設を共有、施主である事の共有。プロセスはアレクザンダーのように人々が設計の過程に入ってきて何かを生み出すこと、ユーザーである事の共有はうまく覚えていないが、建設の共有はまさにワークショップなどで作る事、最後施主の共有が乾さんが延岡でしようとしている建築の共有。賢い施主に一緒になるということだろうか。このことはとびらプロジェクトも同じで、たくさんの賢い施主を探しているのだと言える。ただその時のコミュニティは地域ではなく建築という趣味の領域であり、また作られるべきものはそこにあるという事かもしれない。もう一つ、spaceourselvesは、建設の共有を行なおうとしている。その条件の中で建ち上がってくる建築の姿があるはずではという事なのだけれど。そして、模型の販売=施主であることの共有が生まれる仕組みでもあるのかもしれない。 シェアのリテラシーが生まれつつあるのかどうか見極めたい。 一つ峠を越す。 29 目覚めると目の前に東京タワー。さすがに昨日は飲みすぎた。少し頭が痛い。 普段より本数の少ない地下鉄に乗り込み3331へ。 大室君のグループ展を見た後、SOの巡回展の可能性について長内さんと打ち合わせ。6月中旬の巡回がほぼ決まる。 その後新国立美術館へ、アーティストファイル展、森美術館へフレンチウインドウ展。あまりぐっとこない。フレンチウインドウは面白いのだが、非常に知的なコンテクストの操作に一抹のむなしさのようなものも感じてしまう。 建築の模型が作品として成立させるための方法をもっと見極めが必要。 夜は西田司さんと坂山さんのはからいで六本木農園でおいしいお食事。 いろいろな話題。建築の公共性、社会性の話。丸の内朝大学、六本木農園、建築家、、、 30 4月ラスト。 今月はSPACEOURSELVES、とびら報告会、松本竣工図作成、colpuの研修などであっという間にすぎていった。桜も咲いてたっけかな、という感じ。 午前中ホテルから日比谷まで歩き、都現美の田窪展とMOTannual、コヤマトミオのハンスヨゼフソン展とまわる。 田窪展の椿やリンゴのドローイングの美しさははげしい。床にしきつめらたタイルが、歩みと共にかなでる音も心地よく、非常に完成度の高い展示。途中に作られていたアルミのフレームで作られた和室は、アルミの軽さと精度が木材のそれと似ているのか、違和感のないとても清楚な空間が生まれていた。(簡素な作られ方が和の美学と調和している?)初期のパフォーマンス、その見せ方の面白さ。バーボン一本分のお話とか?パフォーマンスはそのものを見るよりもそれが行なわれた記録を事後的に痕跡として受容することがおもしろい。事後性?何?。金比羅の建築模型も展示されていた。建築の模型の経験は空間そのものではないが、建築をアートの文脈に置くのであれば、経験よりもコンセプトがどのようにあるのかを表現されている方が説得力があるのではと考える。美しさと強度、耐久性。。。 その後帰京。東京駅から新幹線は久しぶり。東京の街を眺めながら目に入ってくる人の営みを感じる。 夜は、SPACEOURSELVESのレセプション。いつになく盛況。模型が倒れないか心配した。parkcafe,oilと2、3次会、最後はNOarchitectsと403とともに王将、そのままみんなでhanareradに一泊。 ![]() 11(mon) 震災から1ヶ月。と同時に統一地方選から一夜明けた月曜の朝。 松本の残務仕事を出来る限り終わらせるつもりが、テキスト作成で大きくつまずく。このままではまずい。 今日も東北地方では大きな余震がおこった。 12(thu) 午前中、新しいパソコンが届いたので時間調整でお休みにしてセットアップ。 夕方は同志社で2コマ分授業。 その後とびらプロジェクトミーティング。 ポーのユリイカを読みはじめる。宇宙(世界のすべて)についての記述。 一遍の詩たりうるとはどういうことなのだろう。 13(wed) 午前中機構のインタビュー研修。 疎水沿いの桜の木の下で。そろそろ桜の散る季節。 疎水に桜の花びらの帯ができている。 老老介護の現場に遭遇。これからの高齢化社会において、高校生の段階でホームヘルパーの資格を取得するべきではないかと考える。 「SPACE OURSELVES」の企画書を調整。 再度、出展予定者へ連絡。 14(thurs) 機構で事務作業など。 repの展覧会の出展者がほぼ固まる。 socialkitchenで実践研修の打ち合わせをおこない、同志社で公共政策論授業。 法は市民の自由を縛るのではなく、権力の力の範囲を限定するために作られた。。。 夜6月のLABORATORY企画で大泉さんと打ち合わせ。 その後、鈴木さんから先日撮影した松本の教会の写真を受け取る。 後半の何枚かがとても鈴木さん的な表現。 中山さんの展覧会のポスターとDMの発送作業をする。 15(fri) 神戸での打ち合わせは延期。 京都にとどまり榊君とロイホで打ち合わせ。 複数のプロジェクトが同時にリリースに向かっている。 5月以降は今進めているプロジェクトの運営面でのハンドリングが難しくなってきそう。 16(sat) 昼前まで寝る。 少し片付けて事務所。岡田さんと中山スケッチブックの作成。 その後、ARTZONEの梅田君展覧会。今回はVOXビル全体を使った展示。よく訪れるビルがあんなにも複雑な構成になっていたなんて。。。梅田君の展示と相まってビル自体が生き物みたいに感じられる展示でおもしろかった。 夕方、Benとパリのプロジェクトスカイプ。今回は長めに話ができたのでだいぶ通りがよくなった。来週のpariでの打ち合わせに期待。 夜は梅田君、さわひらきさん、松原さんらがhanareradに宿泊。 みんなでyamagaへ。 17(sun) 午前中宝塚。京都へとんぼ返りし、西山君たちとスカイプ。 14:00から松原さんのアフリカのプロジェクトの報告会@芸セン。 ナイロビのアート事情の未成熟だが確かに息づいている感じがとても魅力的だった。 現地人ですらいくのをいやがる危険なスラムで堂々とプロジェクトをこなす松原さん。大胆不敵。 スタバで諸々の作業し、radで「まち飯」のみなさんと意見交換。 18(mon) 都市・・・想像上の全体 >地域・・・利害の共有? >コミュニティ・・・コミュニケーションによるつながり YさんとK×Aの運営方法について話し合い。 その後、前から気になっていたtatezanへ。 19(thu) 実践研修先決定。 夕方、同志社大学での授業。 現代起業論は近代国家の誕生の歴史について。それにしてもこの授業、レッセフェール。 都市政策論はあいかわらず行政マンによる説明会の様相。 前回も感じたけれど、何か施策しても十分検証ができてないし、自己評価にたいする切迫感が感じられない。せっかくの成果なのだから、検証して市民に示すべき。もったいない。 その後とびらプロジェクトの打ち合わせ。 報告会の内容を固めるなど。 帰宅やっかいごとの顛末を聞いて、意外と自分も悪かったと反省。 気の使い方が少し足りていなかった。 図面修正作業をほぼ完了させる。 Benに諸々打ち合わせ資料送付。パリ行きの日程をどうするか。 忙しさがピーク。 20(wed) 雑記 コンセプチャルアート・・・もの、ことのイデア(idea)を具象化した作品?何かの表現?ではなく ドイツのバイオ村についての記事。普及に一番大きな障害は人間の頭です、とのこと。 展覧会の企画はまもなく公開。パリの打ち合わせが今頃海の向こうで行われているはず。うまく事が運ぶことを願うばかり。 森川君と来年初の展覧会についての打ち合わせなど。首を大きくひねって考えてみる。 その他、David Tanenbaumをitunesで購入。 いよいよ「SPACE OURSELVES」の情報リリース。 そろそろ体力的にパフォーマンス能力も落ちてきている。頭も回らない。たぶん何かを吐き出すようなため息のようなものをはいてしまっている。膨大な疲労感と引き換えに物事は進んでいく。
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